~赤い目~
下駄箱から出てきたときには空は灰色のどんよりした雲で覆われ、より一層風邪を冷たくしていた。
昨日男子トイレで水を掛けられたあの時、急いで保健室で制服を拭いて乾かしたものの、結局今日まで湿ったままだった。
風も強くなりますます体が冷えてくる。耳なんか氷そのものだ。
そんなことよりアイツらにまた追いかけられないうちに早くここを去らないと。
その少年は周りに点滴の集団がいないか注意深く確認しながら、大股で早足で正門へ向かった。
天敵というか、この学校には自分の味方なんて一人も存在しないのだが。
自分より楽しそうに戯れている人達の前を通り過ぎ、正門を出た。
学校の出口からは出たが、アイツらが出没する危険地帯からはまだ抜け出せていない。
今日はどっちの道なら出くわさずに済むだろう…
右側の道に進むと、自分以外誰もいない様子だった。
少年は少し安心しでも警戒しながら歩き続けた。
車がぎりぎり通れる道の両側に立ち並ぶ一軒家の中には水色の壁にピンクの屋根といったこじゃれた家も目に付いた。
しかしそんな一時の平和な時間もすぐに終わった。
一本道を通り切って横断歩道を渡ろうと右に曲がる。
マズい!アイツらだ!
この場所はどの道から来ても必ず通らなければいけない場所だった。
こっちを見るな!どうか気づかないでくれ!
少年の願いは通じるわけもなく、男子集団はケラケラと笑いながら見つけた獲物にぞろぞろと近づいていった。
「おいおい!松井じゃねぇか!」
その声は決して仲の良い友達にかけるような声ではなかった。
昨日あの男子トイレで起こった事件と同じ声だ。
信号がちょうど青に変わり、少年は大股でヤツらと目を合わせないように早々と通り過ぎた。
黒白の横断歩道の上、一人の少年の後ろに恐怖の足音が追いかけてくる。
ヤツらに捕まりそうになった少年は全速力で走りだした。
走りを邪魔する、今にもはずれそうなエナメルバッグをけたぐり、制服は暴風の中の旗のようにはためいた。
運動靴は必死に逃げるあまり歪んで見えた。
いくら逃げても追いかけてくる。
一度狙いを定めたハイエナは決して獲物を逃がしたりはしない。
「逃げてんじゃねーよ!」
アイツらの嬉しそうな声が聞こえてくる。
少年は残っている力を出し切って団地の方へ駆けていった。
立ち止まってバクバクと激しくなっている心臓を落ち着かせ、耳を澄ませる。
足音は聞こえてこない。
どうやらうまく巻いたようだ。
やっといなくなったぁ…
一気に力が抜け、支えが効かなくなり両膝に手をつく。体は火照り手も真っ赤っか。
たぶん顔もゆでだこのように真っ赤になっているだろう。
冷え切った冬の空気を激しく吸ったせいで口の中はカラッカラに乾いてしまっていた。
唾液を飲み込むと口の中がどれだけキンキンに冷えているのかがよくわかる。
―なんで…なんで僕だけこんな目に合わなきゃいけないんだ?何もアイツらにした覚えはない。ただみんなと同じように生活していただけなのに…全く訳が分からない。でもこんなに徹底的にやられるのは僕が弱いせいなのかな…普通はもっとやり返せるのかな。言い返せるのかな。普通ならもっと…他より僕が出来てないからかな―
少年はハッ!と驚き、逃げてきた道を振り返る。
また男子集団の声が聞こえたような気がした。少年は再び足を引きずり力なく走った。
どこに潜んでいるんだろうと緑の生い茂る公園の前で周りを見渡し、グンッと加速した。
次の瞬間…
バン!
思いきり誰かにぶつかって転んでしまった。
「すっすみませ…」
顔を上げた少年は愕然とした。
ぶつかった女子中学生の目はギラギラと赤く染まっている…
それだけではない、鋭いその目はとても人間の目とは思えなかった。
その目は人間でなくまるで…獣。
首元には今は冬のはずなのにカゲロウが揺らいでいた。
ふと我に返った少年は慌ててエナメルバッグを肩にかけ、雑にお辞儀をしてそのまま逃げ去ってしまった。
あの少年は何をそんなに驚いていたのだろうか。アズにはわからなかった。
ただぶつかったときに落としたあの少年の生徒手帳を渡そうとしただけだったのに。
アズはうっかり少年に自分の本当の姿見られてしまったことに気がついていなかった。
この生徒手帳どうしょう…
四丁目にある自分の家に帰ると早速ナタにこの生徒手帳をどうしたらいいか相談した。
「あーっ!ちょっと!その髪!」
「え?なに?」
「なんでポニーテールにむすんじゃったのよーこれじゃあマフラーの意味ないじゃない」
「ポニーテールって?あーこれ、うっとおしいから結んだんだよ。ばれやしないって」
「絶対炎見えちゃうわよー」
「大丈夫大丈夫。それよりこの生徒手帳さ」
アズは少年の生徒手帳を拾うまでのいきさつをすべて話した。
ナタは背もたれの長い椅子に座りテーブルに肘をついて拾った生徒手帳を広げた。
「なるほどねー一年三組松井椋助…」
「その子椋助っていうんだ」
「この生徒手帳の子知ってるの?」
「なんかどっかで見たことある子だと思ったら、昨日男子トイレでどつかれて水掛けられていた子だったんだよ」
ナタは少し目を見開いて心配した顔で
「えー今の中学生って大変ね」
と井戸端会議のおばさんみたいに他人行儀に言った。
「私も中学生のころそうゆう子いたっけな…でもこうゆう事ってどうにもならないからさ 」
「そうゆうものなのかな」
アズには納得いかなかった。
ナタはそう軽く言っていたが、アズはどうもそれに共感できなかった。
ウィングの部屋に入ると、ウィングはいつ取ってきたのか椋助という少年の生徒手帳を持っていた。
「ウィング!どこから持ち出したの?これは他人のものだからダメ」
「だってお絵かきする神はないんだもん」 アズはシャーロのディスクから白紙の紙を持ってきてウィングに生徒手帳と髪を交換させた。