~緑の制服~
一面真っ白な曇り空。
中学校までの地図を片手にアズは公園の際を歩いていた。
ペンキがはがれた太く低い柵の奥にはぼたんやイチョウの木々が生え、その下には枯葉のジュータンができている。
公園の目の前には何棟もの団地がドミノ式に連なっていた。
あまりにもその景色がほのぼのしているので、アズは曇り空という画用紙に描いた風景画を自分は旅しているのだと思えた。
公園を左に曲がり、小さな横断歩道を渡って団地の一丁目を過ぎてしばらくすると、緑の多い団地から一変、建物が多く立ち並ぶ道路の坂道に車が行き交う景色が見えてきた。
その景色は人間にとっては当たり前の景色だが、アズにとっては自分が知っている町に似ているようでどこか妙な違和感があった。
朝の現世はアズが住む世界と同じく、人通りが多いようでこの景色を物珍しそうに眺めているアズをまるで見えていないかのようにみな、そそくさと歩いていく。
その中には自分と同じ制服の人もちらほら見える。
アズはふと自分の制服と見比べた。深緑と青が混ざった色の、リボンのないその制服は周りの通行人の中で変に浮いて見えた。
そういえばナタも「この制服ずいぶん変わった色しているわね、デザインも地味だし」なんて言ってたっけ。
坂道下って横断歩道を渡り、車がギリギリ通れる幅の道をずっと歩いていく。
あとは同じ制服の人の後をついていったので地図いらずだった。
角を曲がった急坂の上に白い校舎、レンガの花壇に植わっている大きな木が目立つ。
どうやら目的地の中学校に着いたようだ。
中学校に入ると校舎の二階の教室からも大きい木が見えた。
先生の朝の会の話をかたわらに窓から校舎や校庭の隅々まで見た。
でも自分が通っている戦士養成魔法学校より敷地面積が狭すぎるし、戦術や呪文の技を訓練するには設備が足りなさすぎるし、人間は学校に何を学びに来ているのか見当もつかなかった。
「今日は新しく転入する子が来ています。小原さん、小原さん?」
急に呼びなれない名前で呼ばれ、アズは驚いて跳ねるように立ち上がってしまった。
「はっはい!」
アズの動揺し加減を何人かが肩をすくめて笑った。
「みんなに自己紹介を」
「私はア…小原、めぐみです。えーと…まぁ、よろしくお願いします」
たまたま持っていた生徒手帳を机に隠して見たおかげで、偵察のしょっぱなから正体がばれることなくその場をしのげた。
(あー神経使う…)
放課後。
アズにとって学校は実践がすべてで、将来政府など組織の下で戦士として生きるための技術を身に着ける場所。
なのに現世の学校で何をするかと言ったら、ただずーっと座ってノートに書き込むだけ。特に人間の学校に何か期待をしていたわけではなかったのだが、それにしても期待外れだった。
《陛下、今日一日の偵察が終わりました。人間が住む世界には一見この世界と同じような街並みがありましたが、どこかこの世界より安全で平和なように思えました。そして中学校は座学がほとんどで、生徒も授業に無関心なようです。もし私が魔法学校で同じように無関心に授業を受けようものなら、自分を守るすべも生きるすべも身に付けられずに町をうろつき回り、狼の餌になっていたことでしょう。陛下は人間がこの世界の者より勝っていないかと心配されているようですが、まだ心配はご無用なようです。》
部屋の両端にある元家主が置いていった二段ベッドのせいで、くつろぐスペースがほんのわずかしかない自分の部屋であぐらをかき、教科書を画板代わりに報告書を書き終えたアズは思いきり伸びをして、仰向けに寝転んだ。人間のフリは結構疲れる。
人間に変身できるあの怪しげな薬を飲んでいても、ふと気を抜いてしまうとすぐ髪がメラメラと燃えてきてしまう。
隣の席の女子が私の髪のことを話しているみたいだった時はヒヤッとした。
我慢してあの薬を飲んでよかったんだかなんだったんだか。
「あら、手紙書き終わったの?で、どうだった?初めての中学校一日目は」
さかさまになったアズの顔を覗き込んだナタは洗濯物がいっぱい入った洗濯籠を持って相変わらず元気がある声で興味津々で私に聞いてきた。
確かにナタはこの世界に来てから長いこと現世に戻って来ていないから気になるのも当たり前か。
「そうだね…こっちよりかなりのどかで思ったよりいいところだったよ。警戒する人も誰もいなかったし、あっあと、車初めて見たよ」
「えー!今知ったの!?車を!?はぁー前は例の組織で軍曹なんて言われていたのに」
「うるさい」
「あーでもそっかぁ、ナミダ族からはそうゆう風に見えるのかー確かに浅区はのんびりした感じだからね。アズにはちょうどいいんじゃないの?」
「そうか?」
「そうよ、こんな荒々しい世界で生まれ育ったら気が狂いそうじゃない。少し前の場所はこれくらいの荒々しさじゃあ済まなかったんだから」
荒々しいとかは言いすぎなような気がする。でもあののどかな現世育ちのナタからしたら 、戦術を学ぶ魔法学校やあの“邪悪な組織”は信じられないくらい危険なところに見えたのかもしれない。
「だからってあんな隙だらけな雰囲気もどうかと思うけど。でも嫌いじゃないね。ウィングにもいつかあの風景がのような町を見せてあげたい」
「そうね。浅区はいいところよ。さぁ、夕食が出来たから下に降りてらっしゃい」
現世でとてつもなく神経を使ったおかげでスープも野菜炒めもよりおいしくなり、体にじんわりと染みた。
シャーロは足を組み今日仕上げた書類か何かをじっと見たまま口に料理を運んでいた。
家族みんなで食事という温かい空間の中でシャーロは周りをすべて遮断し、一人だけ冷たい空気を漂わせていた。
私はさすがに食事中くらいは…と気を利かせて何か話題を持ちかけようと試みたが、私とシャーロの会話と言ったら
「アズ、その台に上がれ。採血するから」
とか私の体に管のついたパッチをつけて
「腕をこう…曲げてみろ」
とかそうゆう指示くらいで、あとは何の会話もしない。
私と出会ってからナタもシャーロも同じくらい年月が経っていて、ナタとはなんとなく打ち解けたのにシャーロは出会った時とほとんど変わらなかった。
ウィングがたまにシャーロに絵をかいて―だとか一緒に遊んでーだとか誘ってくる時があるが、やっぱり小さい子に遊びに誘われたらちょっとは付き合ってやるだろうなと思っていたら、まったく相手にせず無言で通り過ぎるかしゃべっても「そこ通して」と小声で言いながら肩をどかすくらいだった。
そんなシャーロに今更会話に入れようだなんて到底無理なことだった。
私がそんな考え事をしている隣でウィングが大きく口を開けてパクパクと急いで料理を食べていた。
そして食べ終わると早足で自分の部屋へと階段を駆け上がり、口をもごもごさせながら一枚の紙を持ってきて私に広げて見せた。
「うぐぐぅ…」
「ウィング、口にもの入れたままじゃ何言ってるかわからないよ」
ウィングへコップに水を入れて渡してあげるとようやく飲み込んでしゃべりだした。
「ウィングとこれがお姉ちゃんで、これがナタお姉ちゃん、これはシャーロおじさんだよ」
(おじさんって…シャーロはまだそんな年じゃないよ)
と思いつつそれを見た。
それは私たちを描いた似顔絵だった。素朴なでこぼこした線で描いた太陽の下、四人が大きく笑っていてウィングと私は手をつないでいた。
「本当だ。上手だね。みんな笑っているね。いつ描いたの?」
「ナタお姉ちゃんとお散歩に行った後だよ」
私の質問に答えるころににはウィングは目を二重にして眠そうに眼をこすっていた。
アズはその様子に気づくや否や、ウィングを優しく手で押して二階のウィングの部屋へ運んだ。
そして上からお姫様が使うようなピンク色のケープのかかった小さなベッドに入るように言った。
「まだ眠くないよ」
「体がもう疲れたって言ってるよ」
「体も心もまだまだ元気だよ」
「今から寝ないと明日も楽しく遊べないでしょう?星の妖精たちも夢の中に出てこなくなっちゃうよ」
「じゃあ、ウィングが寝るまでここでお歌を歌ってくれる?」
「いいよ。今日は何にしようかな…」
「昨日のがいい」
アズは掛布団の上からトン…トン…とウィングのお腹を優しくたたきながら、水が清らかに流れるように歌いだした。
ビー玉のような青い目は広い広い空の子守歌に溶け込むように閉じた。
ウィングが寝た後も部屋に散らかったクレヨンや服を片付けながらアズは彼女を起こさないように、子守歌の続きを歌った。
廊下に出て脱ぎ捨てた服を始末し、子守歌の歌詞に描かれた物語を想像しながら壁にもたれた。
下の階でナタは普段ウィングにしか聞かせないその優しい声を聞いていた。