ー山に豚ー
ベンチに座っている豚もこちらに気付いたようだ。
アーモンド型の目がこちらを見つめている。
振り向いたその顔は豚らしく鼻の穴が正面に見えているものの、豚にしてはシャープに鼻が伸びている。
沙樹はこの品種に見覚えがあった。たしかランドレースだったような。
何の品種にせよ、沙樹は無類の豚好きだ。しかもアニメーションのようなかわいい豚ではなく、家畜の、リアルな豚が好きだった。
なので目の前にいるこの豚には余計興味をそそられた。
自分よりひとまわりもふたまわりも大きなその巨体が丁寧にお辞儀をしてきた。
沙樹もお辞儀で返す。
偶然だろうか、自分の上着にとてもよく似た上着を着ている。
豚はベンチの端っこに身をそろそろっと寄せた。ベンチに沙樹がギリギリ座れるくらいの空間ができた。
沙樹は普段人の隣には座ったりしないのだが、今沙樹は足がふらつくほど疲れている。体もだるい。
豚に譲られたベンチに座るしかなかった。
沙樹は遠慮がちに豚の隣に座った。左隣にあるその巨体は壁みたい。
でも、ただでさえムチムチした体にふかふかの上着を着ているせいか、触れていなくてもぬくもりを感じられた。
何か話したい。
一人で静かに過ごすつもりだったけど、こんな状況になったら話したくてムズムズしてくる。
だって豚なんだもん。夜景をうっとり見ていて一向に話しかけてこなさそうな雰囲気だけど、
豚なんだもん。話したい。
沙樹は向こうから話しかけてきてほしいな、という気持ちを押さえて、話しかけてみた。
「あの、よく来られるんですか?」
豚は目だけをこちらに向けた。思ったより優しいまなざし。
「いや、初めてかな」
「あーそうなんですか。いい景色ですよね。ここ」
豚はうん、と言いながら白い息を鼻からフンーッと出した。
とても優しそうな話し方。沙樹はなんだか安心した。
すると、沙樹の口から自然と会話の糸が紡ぎだした。
「どこからいらしたんですか?」
「養豚場かな」
冗談だろうか?
からかっているなら腹が立つが、沙樹はなんだかフフフッおもしろいなぁと感じた。
「へへっ養豚場ですか?すごいですね、私もインターンシップで行ったことありますけど、よく逃げ出そうと思いましたね」
「同じ繰り返しの毎日がつまらなくなって、外に行きたいと思ってね」
「へへへへっ」
おかしな話。沙樹はくすぐられているみたいに、コロコロっと笑った。
「そうなんですかーへへへっ はぁーインターンシップの時豚たちもそんなこと考えていたのかなぁ」
「ん~さぁねぇ。どうせ俺らを食うやつらなんて、俺らは”食われるのが夢”だと思ってんだよ。夢も希望もねぇよ。なんて言ってたけどね」
「はははっシビアですね」
「フフンッところでインターンシップって何かな?」
意外にも二人の会話は弾んだ。夜景を背景にした、冬の静かな会話だったが。
沙樹は裏山のこのベンチで静かに過ごすつもりだった。
豚が座っているのは予定外だった。
でも、こんな過ごし方もいいかもしれない。