フレア
~誰も知らない世界~
著者 沙彩
~アズという生き物は~
広い夜空に一つまみの星が散りばめられ、静かに輝いている。
その中に幻想的に浮かぶゲルフ城
まだ明かりの灯っている窓はまるで星の一部のよう
アズは夜空を見ながら物思いにふけっていた。暗闇が深いせいか、今夜はゲルフ城がより一層美しく見える。
なめらかな風が小さな畑のにおいをかきたて、遠い森の木々の葉をなでた。
アズは家へトボトボ歩き、古びた玄関のドアを開けた。そして棒になった足を引きずりおぼつかない足どりで中に入っていった。
そして視界に入った、ドアと同じく古びた背もたれの長い椅子に腰を下ろした。
そのままテーブルに突っ伏し、疲労という荷物を下ろした。
(もう何も考えたくない、このまま何もしないで眠りたい…)
アズの意識がだんだんと遠のいていく…
とその時、上から木製の階段を下りていくパンプスの軽やかな音が聞こえてきた。
「アズ、帰ってきてるならただいまのひとつくらい言いなさい」
なんだ、こんな夜遅くまでナタはまだ仕事(研究)していたのか。
白いワイシャツと白衣に黒いスカート、白衣をはぶけばよくいるOLだ。
しかしナタはOLではない。ナタは私のような“生物”を研究している大学生シャーロという男の助手を務めているのである。
「魔法学校がこんな遅くに終わるなんて珍しいわね…買い物した形跡もないし…どっか男といた?」
「違うわバカ!学校の放課後の試験が長引いたんだよ!」
チラッとこっちを怪しい…っていう目でにらんだと思ったらこの人はなんて突拍子もないこと言うんだかっ!
「そっちこそ何?夜な夜な」
「え?あー今朝取ったアズの血液中の“光を放つ成分”がなかなか見つからなくてね」
私は人間ではない。
一般的に私達のような生き物は“ナミダ族”と呼ばれており、類人猿からの進化の過程で人間にならずに進化した生き物だ。
体つきは実に人間に似ているが、ネコ科の動物の顔つきで四足歩行をし、尻尾と肉食獣の爪を持ついわば、ネコ科した人間である。
アズは袖をまくり、ナミダ族のもうひとつの特徴である黄色の血液が流れている太い血管をながめた。
生まれた時からこの体なので、なぜこの血液が光るのかさえ考えたことがなかった。
でも私…どこで生まれ育ったんだろう?
この家で生活する前はどこでどんな生活を送っていたんだろう。
「試験って?アズ、どんなことやったの?」
「さあね、なんか人間適応なんとかとか、人類変化なんとかっていういつもの授業とは全く関係ないことをテストされたよ」
アズが言い終わったと同時にドアのポストから手紙が入る音が聞こえた。
ナタは手紙を取り出すと早速、手紙の内容を読み始めた。
《現世偵察任務実行命令
現在、人間共存プロジェクトの実施が最優先で行われている。そのため、バーツァム氏に現世での人間の行動及び心理状況、社会的能力等の偵察を命じる。バーツァム氏は今回の任務において十分な能力、適応能力があるとの結果が出た。よって今回の任務実行の同意を願いたい。
なお同意の場合、次のような条件を厳守すること
1 いつなんどきでもこちら側の世界を知られてはいけない。
2 人間に異様に思われ、“ナミダ族”であることに気づかれないよう二足歩行と日本語での会話を義務付ける。
3 定期的に手紙を通して現世の報告書をゲルフ城政府組織に提出する。
では、返答を待つ。》
返信もなにも、私は陛下直属の身だ。陛下からの命令に同意しない訳にはいかなかった。
「アズ、どうする?イヤなら無理してやることないと思うんだけど」
「いや、やるよ。別にイヤじゃないし。それに人間の世界も興味あるしさ」
アズは翌日、伝書鳩に返答の手紙をくくりつけた。
「待って待って!これもつけて!」
鳩を飛ばそうとした時、ウィングが白く美しい長い髪をなびかせながらアズのもとに走ってきた。
「おはようウィング、なんの手紙書いたの?」
「お姉ちゃん、星の妖精さんの話をしてくれたでしょう?夜はあんなに広い夜空で妖精さんがキラキラのドレスを着て舞踏会を開いているなんてすてきね。でもね、ウィング夜よりも昼が好きなの。お日様が温かい昼が好きなの。だから妖精さんになんで昼に舞踏会を開かないのって書いたの」
モコモコに膨らんだツインテールからアズの作った物語に胸をときめかせた、かわいらしい瞳がのぞいていた。
なんて愛らしいのだろうか、自分の子供のように育ててきたこの少女にそう思わざるおえなかった。目を夢見るように輝かせている、シルクの寝間着を着た少女の頭に手をのせ、
「届くといいわね」
とアズは母親のように優しく言った。
朝の日差しが遺跡と同じ石造りの校内を照らしている。その廊下をアズは早足に歩いていく。廊下の左側の壁はアーチ状に連なり、アズの歩みに従い、彼女の頬で日差しが点滅していた。
「公欠?なんだ急に」
学年主任にあたる顔のデカいこの先生は眉間にしわを寄せ、しかし軽い口調で疑問を投げかけた。
「政府側から人間を偵察してくれと昨晩連絡があったので」
この先生はなんとなく嫌いだ。
学年主任とは肩書だけで、この通り喋り方からして生徒に興味がないので何があろうと何も助けてくれやしない。
「…何も聞いてないんですか?」
「まぁ、何でもいいが、向こうの世界で余計なことをしないように」
と先生は公欠状を軽く投げた。
一応これで任務に専念できる。こんな先生だからかえってこんなやり取りでよかったのかもな。
魔法学校での一日も終わり、家に帰るとテーブルの上の紙袋をナタ、ウィング、シャーロが囲んで立っていた。
「例のやつか」
アズの一言にみんなが振り向いた。
「そう、さすが、政府は人間に化ける薬なんて開発してたのね」
「人間に化けるといってもただお前のその血管を目立たなくして尾をしまい込むだけだからな、あとは自分で隠すしかないぞ。爪、目の色、そしてその髪も」
私が陛下直属の身にある理由はそこにある。私はナミダ族である以外にもうひとつ特別な能力を持っていた。
炎をあやつる能力
この世には氷、闇、風、草など自然の力を持つ者がいて、2000年に一度この世界に生まれてくると言われている。
それらの力を持つ者をみな、“フレア”と呼んだ。
フレアという存在があるからこその生態系であり、フレアこそ自然界を駆使する存在なのである。
だからこそ陛下は炎の力を持つアズを下部にすることで、自然界の拠点を自分のもとにおいているのだ。
炎のフレアは火山と太陽を管理する役割を持っているが、アズはまだそんな神聖なことに力を使ったことがなかった。
そして彼女の黒髪の毛先は、アズがフレアであることを証明するように、いつも炎が激しくうねりながら燃えていた。
煌々と燃えるその炎は彼女の黄色と真紅の目もかなわないほど美しかった。
「なんでシャーロが知っているの?」
「さっきヤギさんといっぱいしゃべってたんだよ」
ウィングが自分の背と同じくらいの高いテーブルに背伸びをして手をかけると、小さな頭をひょっこり出して言った。
この世界ではヤギが宅配便をしている。
おそらくそのことだろう。
アズは紙袋に手を入れて探ってみると、中には人間に化けるための薬と今回の任務の説明書が入っていた。
ビンを揺らしながら黄色と緑が混ざった薬をながめた。
本当に私がこれを飲むのか?
任務を引き受けたとは言え、これを体の中に入れると思うとゾッとする。
「今のうちに飲んでおけ、早いうちに体に繁殖させたほうがいい」
「ちょっと待って!繁殖させるってどうゆうこと?…」
「その薬には人間の細胞が含まれているからな」
シャーロが言っていたことは本当か?一気に吐き気が込み上げてきた。
しかしどっちにしろ、明日までにはこの薬を体の中に入れておかなければいけない。
仕方ない。
アズは目を閉じ、いっせいの…せっ、で薬を飲み込んだ。
舌にドロドロした感触が残って気持ち悪い。
なんだかのどだか心臓だかがどくどくする。
ウッ…
思わず口に手を当てる。
すると手の黄色い血管がほんのわずか、薄くなったような気がした。
「そんなすぐには効果は出ない、明日には人間の姿になっているだろう」
両手をながめるアズにシャーロが任務の説明書を見ながら言った。
白衣のポケットに手を入れた、背中がスラッと伸びた彼の目にはくまができていた。
アズはナタに政府から届いた現世での服装をチェックしてもらい、二階に上がって、前の家主が置いていった二段ベッドの一段目のベッドにもぐり、天井をぼんやり見た。
(人間が暮らす世界なんてあるのか?何度か話で聞いたことがあるが、今まで人間はナタとシャーロ以外会った事がない。まぁ、この任務はすぐに終わるだろう)
次の朝、制服を着てある程度の荷物を入れた肩下げバッグを持ったところにナタが下りてきた。
「まぁ!新鮮ねー!まさに新入生って感じっ懐かしー」
ご機嫌なのか、やけにニコニコしていた。
「新入生は春なんでしょう?向こうは冬なんだよ、説明書にも冬に転校してくる中学2年生の設定って書いてあるんだから」
「わかってるわかってる、ほら、マフラー巻いて、毛先を隠して」
下げた髪の毛先をナタのお気に入りのマフラーで隠した。
「子のマフラー、焦げて燃えても知らないよ?」
「いいから、さぁ、仕事に行ってらっしゃい!」
20歳の若々しい笑みを浮かべたナタは私を自慢の一人娘のように送り出した。アズは彼女の態度にめんどくさそうにため息をつき、現世のダイヤルに設定されたドアを開けた。