小説

⑫無口な男と黄金の声帯

その男は、無口でおとなしかった。
どれくらい無口でおとなしいかというと、
「……」
これくらいである。
とにかく滅多に口を開かない。
開いたと思ったら、
「ふあーあ」
ただのあくびだった。
人々は、彼が喋ることを望んでいた。
なぜなら彼は、1億人に1人と言われる伝説の「黄金の声帯」を持っていたからである。
黄金の声帯から発せられる美声をミキサーにかければ、たちまち高額な金銀に変わる。
金銀の元となる彼の声を録音するには、無理やりでも喋らせるより他はないのだった。
今まで金に目がくらんだ者たちがあらゆる手段で男を脅迫したが、彼はどんな脅しにも屈しなかった。
恥も空腹も暴力も死をも恐れず、かといって金にも宝石にも娯楽にも興味を示さない。
喋りたい時しか喋らない。それが男の理念だった。

男は今週も金に目のくらんだ犯罪者に捕まり、柱に縛られていた。
犯罪者は刃物を突き付けて男を脅した。
「喋れ」
「……」
「喋れば大金の半分はお前にやる」
取引した。
「……」
「喋って……」
泣いた。
「……」
相変わらず、男は微動だにしなかった。
「どうやったら喋るんだろう。先人たちが音を上げたように俺もお手上げだ……」
犯罪者が自信を失って落ち込んでいると、
いつの間にか拘束をほどいて抜け出した男が犯罪者の肩を優しくたたいた。
「お前……俺を励ましてくれるのか?」
男は頷いた。
「俺のような犯罪者を励ましてくれるなんて、お前はなんていい奴なんだあー!」
犯罪者は感動の涙を流したが、
「……ん、待てよ?元はと言えば、お前が喋らないから自信を失ったんだろうが!励ます気持ちがあるなら喋れ!」
気付いて怒ると、
男は無言でヘラヘラと笑った。
「お前、まさか俺を馬鹿にして!」
男は大きく頷くと、ヘラヘラと笑い続けながら立ち去った。

「どいつもこいつも、知恵が足りない奴らだなぁ」
男は自宅に戻ると呟いた。
「外でまったく喋らなければ、家でも絶対に喋ることはないと思っている。甘いな。私の黄金の声帯は、我が家で独り言を呟くために存在するのだ。誘拐せずとも、この家に盗聴器でもつければ一発なのにな」
家の中での男はとにかくお喋りである。
「今は何時だ?午後1時か。午後1時は13時。13といえば、13歳の時の修学旅行は楽しかったなぁ。バイキングでがつがつ食べまくって下痢した思い出しかないけどな。はははは!あ、ここの椅子はもう左斜め45℃に傾けた方がいいかな?その前に椅子の上にある洗濯物が……」
恐れるものも求めるものも何もない男の唯一の生きがいは、家で自分の美声を聴く事だった。
愚かな金の亡者どもに聴かせるのは死んでもごめんだ、そう思っていた。

しかし、肝心の黄金の声帯はそれを苦に思っていた。
(俺、そろそろお前の声辞めたくなっちゃった)
黄金の声帯の心の声を聞いた男はいつになく慌てた。
「な、何を言うんだ。私はお前を金儲けの道具に使わせまいと身体を張って守っているというのに」
(そうしてもらえてありがたいと思ってたんだけどな。でも、せっかく良い声してても人前で喋らなければ宝の持ち腐れ。黄金の声帯、そろそろみんなにちやほやされたーい!)
「バカ言え。ちやほやする奴らはお前が金づるだからちやほやするんだ。お前の事が好きなんじゃなくて、お前を使って手に入れる金が大好きなんだよ!その点、私は違う。私はお前を心から愛している」
(だけど、結局は俺の声が素晴らしいから金づるになり得るわけだろ。その時点で充分な『評価』だ。それに男が男に愛されても嬉しくないしなぁ……どうせなら美人なお姉さんの金づるになりたーい!)
「この承認欲求とスケベ根性の塊が!もうお前には完全に失望した。勝手にしろ!」
(じゃあ勝手にするわ。さいなら~)
黄金の声帯は男の喉元から飛び出し、去って行った。
「ガガガ……グ……」
声帯を失った男は言葉を発せなくなってしまった。
しかし、外では一切口を利かない男にとっては独り言が言えなくなっただけで実質的には変わらない。
それに黄金の声帯に失望した時点で、このまま喋れてもあの声を堪能することはできないだろう。
男は諦めて別の生きがいを探した。

黄金の声帯は美人女優の声となり、その美しい歌声でCDを大量リリースさせて承認欲求とスケベ根性を同時に満たしていた。
(あの無口な男の声を辞めて正解だった)
黄金の声帯は美人女優から愛され、その声としてちやほやされる毎日が楽しかった。
(これぞ俺の人生!)
しかし、そんな幸せな人生も長くは続かなかった。
かつて黄金の声帯を持っていた男が標的にされたように、今度は美人女優が金に目がくらんだ犯罪者の標的となったのである。
「ど、どうぞ……」
芯が弱い美人女優は我が身の可愛さからあっさりと黄金の声帯を引き渡した。
3代目の持ち主となった犯罪者に金づるとして利用された黄金の声帯は、美人女優からの落差に失望した。
(美人女優が髭面のオヤジになってしまった。スポットライトの壇上が薄暗いアジトになってしまった)
たまらず逃げ出した黄金の声帯はリベンジを誓った。
(あの幸せを必ず取り戻してみせる)
しかし、現実は変わらない。
美人の声となり女と名声を同時に掴んだ所で、必ず金に目のくらんだ悪人が現れてその幸せを壊す。
美人ほど我が身が可愛く、軽い脅しでコロリと引き渡してしまうのだった。
(あの男は本当に芯が強かったんだな)
5人目の美人女優に引き渡された時、黄金の声帯は最初の持ち主だった無口な男の偉大さを痛感した。
(あいつに身体を張って守られていた時こそ、俺の一番の幸せだったのかもしれない)
黄金の声帯は再び犯罪者の手から抜け出すと、懐かしい男の家へ向かった。
(やっぱり俺にはあいつしかいないんだ。あいつの声として生きることが、俺の人生なんだ)
黄金の声帯の中で男の独り言を発していた時の記憶が鮮やかに蘇った。
(こんな自分勝手な俺を許してくれるかどうかは分からないけど……せめて、気持ちだけは)
しかし、その気持ちは粉々に打ち砕かれた。
かつて男の家があった場所は、今では荒れ地となっていたのである。

数ケ月後、黄金の声帯は大自然に溢れた森の中で男と悲願の再会を果たした。
黄金の声帯は、男の変わり果てた姿に驚愕した。
「ガガガ、グワオーン!」
男は丸裸で木の幹にしがみつき、本能のままに雄たけびを上げていたのである。
「今さら何だ」
男は黄金の声帯に呆れた。
「美人なお姉さんにちやほやされたいんじゃなかったのか」
(それがどいつもこいつも俺のことなんか守ってくれなくてな。どんな脅しにも屈せずに俺を守ってくれたお前がどれほどの存在だったか思い知ったよ。すまなかった。またお前の声に戻らせてくれ)
「そうか、やっぱりな。それなら許してやるが、もう私はお前を使って独り言を呟く気はない」
(どうして?)
「お前が出て行き言葉を失ってしまったので、独り言に変わる生きがいを探した。そこで考えたら、人間として人間を生きることが馬鹿らしくなってな。動物になった。私が何の動物か分かるか」
(猿か、ゴリラか?)
「人間だ」
(人間……)
「他の人間たちが人間として人間を生き、金に目をくらまして愚かに生きるなら、私は動物として人間を生きてやるんだ。人間だって、動物だ」
(動物として人間を生きる……)
「だから私はもう人間の言葉は使わない。お前がまた私の声をやるなら今度は動物としての本能の叫びだけになるぞ。それでもいいのか?」
(……)
黄金の声帯は考えた。
金の為なら平気で人様の幸せを壊す犯罪者たち、自分を守るためならあっさりと俺を裏切って悪党に引き渡した美人女優たち……
(そうだな。動物の声として美しく生きるっているのも、悪くないかもな)
「よし、そうと決まれば!」
男は黄金の声帯から発せられる声で美しい本能の叫びを上げた。
「ワオ――――――――――――――――――――――――――ン」
その美声は森の木々を、そして自然界の鳥や動物たちを癒したのだった。

働 久藏【はたら くぞう】

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『お題ゾンビ』の物語などをマイペースに書いています。頑張って働 久藏(はたらくぞう)!


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