その青年は、ありふれた趣味を持つ平凡な青年だった。
「これ下さい」
いつもありふれたものばかり買って、よく飽きないものである。
「いいじゃないかよ」
ところがその会計の際、
「あっ」
300円が財布から転がり落ちてしまった。
「しまった、俺の可愛い300円が!」
青年は慌てて転がる300円を追った。
「待てー!」
だが300円は早い。
「嘘だろ?」
道路を走る車たちを軽々と追い越していくではないか。
「諦めてたまるか、タクシー!」
タクシーを呼んだはいいが、
「例えすぐ先であっても、本車を利用されたからには最低でも500円頂きます」
「ぐぬぬぬぬ……」
300円を取り戻すため、500円を払ってしまっては200円の損ではないか。
「こうなれば仕方ない。うわあああーん!」
青年は恥を捨てて大声で泣き出した。
「俺は生まれつき貧しくて小学校にも幼稚園にもいけず、オモチャの一つも買ってもらった事もなく、あの300円がどれほど大切なものか。うっ、うっ、うわーーん!」
出まかせの不幸話で泣き落として同情を誘いタクシー代をまけさそうとしたが、
「可哀想に。実は……私もなんです!私も幼稚園にも高校にもいけず、道端で拾った石ころをオモチャに見立てて一人寂しく……大人になっても災難続きで、こうしてタクシーやってますが儲けたお金は全部コワーい親分に吸い取られて、100万円儲けても私の手元に残るのはたった100円。うおおーん、あんまりだよぉー!」
「ありゃまぁ……」
運転手の不幸話はそれ以上だった。
「それを何ですかお客様は。200円まけろだ?私の苦労も知らないで。心無い方だ。うわああああん、ひどいよぉおおー!」
「分かった分かった。500円でいいですから急いで!」
「たったの500円ですか?」
「えっ」
「私の不幸に同情して、1000円くらいにサービスしてくれても」
「いや、そこまではちょっと……」
「分かりましたよ。たったの500円ね。お乗んなさいよ」
「はい……」
青年が乗ると、運転手は激しい暴走運転を始めた。
「どうせ500円ですよ。私の50年の人生なんてね、どうせ500円ぽっちのもんですよ!」
「うわうわ、落ち着いて!」
「これが落ち着けるかってんですよ!ああもうこうなったら交通事故死してやる。そうだ、あの電柱を墓標に!」
「ひぇえ、分かった分かった!1000円払いますよ!1000円払いますから落ち着いて!」
「ほーい」
青年が金額を上げると、運転手は一瞬で落ち着いて通常運転に戻った。
「とほほ……これで700円のロスか……」
「いいんですよ?次の電柱をお客さんの墓標にしても」
「ひぇえ……結構です。700円、ロスさせて頂きます!」
「そうですか。それじゃお客さんはどちらまで?」
「うーん、300円はどこへ行ったんだろうか……とりあえず、ひたすら直進でいいです!」
青年は窓から顔を出し、転がり続けているであろう300円をくまなく探した。
「300円どこだーっ!いたら返事をしろーい!」
通行人たちは驚いた様子である。
「300円って、ペットか何かの名前ですか?」
「違うよ、現金300円だよ。おーい、出てこーい!」
呆れる通行人を気にせず、青年は呼び続けた。
「300円やーい!」
その必死な呼びかけが通じてか、
「お客さん、あれっ!」
先の道には猛スピードで転がる300円が見えたではないか!
「よっしゃ運転手、ハイパースピードだ!」
「おうです!」
運転手は勢いに任せて猛スピードで爆走し、
「いいぞあと少し。追い越せ!」
300円にあと一歩の所まで近づいたが、
「いけぇええええええええええええええええええ……うっ、うわああああああーっ!」
ギリギリの所で赤信号に捕まってしまった。
「何故だ!何故こうなるんだ!うわああああああっ、うわあああああああああああああーっ!」
「うるさいなぁ。お客さんこそ落ち着いてくださいよ」
「これが落ち着いていられるかよ。300円が、我が愛しき300円ちゃんが!」
「300円ちゃんって、300円はお客さんのガールフレンドじゃないんだから」
「そう。300円ちゃんは俺のガールフレンドじゃない。300円ちゃんは、俺の希望だ。心の太陽だ!」
「ダメだこりゃ。完全にビョーキだこりゃ」
「あっ、信号が変わったぞ。急げぇ、突撃じゃああああああああああああああ!」
「はいいいい!」
猛スピードで直進すると、
「いたぞ!おーい、300円ちゃーん!」
再び転がる300円を発見したが、
「あっ、300円がこっちへ転がってくる~」
「ラッキー。もらっちゃおうぜ!」
2人の男の子が拾おうとしているではないか!
「ゴラァ、そこの小僧ども!それは俺の300円ちゃんじゃあああああ!」
「ギャーッ!」
青年が鬼の形相で怒鳴りつけると、男の子たちは一目散に逃げだした。
「子供を相手にマジになって、大人げないなぁ……」
「うるさいなぁ。お前がもたもた運転してるからだろ」
「それよりお客さん、実は予定以上の距離を走り過ぎて、1000円どころかとっくに1300円の領域まできてるんですがね」
「何おう!?1000円ものロスかよ……だからって、ここで引き返せるかってんだ。走れ走れ!」
「まいどあり……うひひひ」
運転手は不敵な笑いを浮かべながら車を走らせ、青年は鬼の形相で指示を飛ばす。
「オラァ、走れぇ!」
「うひひひ……料金は1500円にアップ。まいどありぃ!」
「もたもたするなぁ!」
「へっへっへ、1700円でございますなぁ」
「いいから急げ!」
「2000円……きましたよ、2000円!」
「アクセル全開じゃああああああ!」
「ほいきた2300円!儲かりますなぁ~私が。ぐへへへへ」
「うるさいなぁ。もう金はどうだっていいんだよ。300円ちゃんさえ取り戻せればな」
「ホントですかぁ?じゃあ2500円、3000円、いや3300円払ってくれますぅ?」
「ああもう、好きにしろよ!」
「ヤッホーイ!じゃあ3300円、いえいえ4300円、もっともっとで5300円でもいいんですね!」
「300円ちゃんに追いつけたらそれくらい払ってやるよ!とにかく急げってんだよ!」
「急ぎます急ぎます。レーサーにでもなったつもりで。ぶおーん」
言葉通りレーサーにでもなったつもりな運転手のスピードは圧巻だった。
急カーブを連発して次々と立ち塞がる車を追い越し、
「ヤッホーイ!5300円も儲かるぜーい!」
ジャンプ走行までやってのけるではないか。
「おいおい、大丈夫かよ。着地した時の衝撃で交通事故になるんじゃないか?」
「まさかぁ。大丈夫でしょう。私のタクシーはそんじょそこらの中古車と違って衝撃に強いですから」
「心配だなぁ……」
ふと着地地点を見ると、
「あっ、やめろ。そこへ着地するなああああ!」
「どうしてです?」
「着地地点に300円ちゃんがああああああああ!」
いるではないか!
「ちょうど動きを抑えられていいじゃないですか。小銭なら下敷きになったって変形しませんし」
「安全に着地できればな。でも俺にはとてもそうは思えな……」
言いかけたのと着地のタイミングは殆ど同時だった。
どーん!
「うわーっ!予想以上に強い着地の衝撃に襲われるっ~」
「だから言ったじゃねぇか!」
だが、
「衝撃に襲われたからといって……タクシーがお釈迦になったとは限りませんよ」
運転手の言葉を聞いてよく見ると、
「ん、何ともない?」
特に大きな問題はなさそうだった。
「お客さん、私のタクシーの耐久性を舐めちゃいけませんよ」
「そうみたいだな。そして300円ちゃんは下敷きにはならなかったようだ。何故ならこの車の目の前を爆走している。早く追えっ!」
「ほいきた!」
運転手はタクシーを走らせたが、
ぶるるる……ばっすん……ぶるる……
どうも嫌な音がするではないか。
「おい、何かまずそうな音がしないか?それに、速度も全然出てないんだが……」
「そ、そそそそっそんなこたぁ、ないです!」
口では否定しているものの、その尋常ではない慌てぶりは明らかに故障している様子である。
「じゃあ進んでみろよ。全速全進じゃあ!」
「うぉおおおおっ!」
運転手は踏ん張ったが、実際には殆ど進んでいなかった。
「ほら見ろ。やっぱりさっきので故障しちまったんじゃねぇか。調子に乗ってあんな事するから……」
「うわわわわわわわわわわ。どうしようどうしようどうしようどうしよう……」
「こんなオンボロじゃ話にならん。俺は降りて自分の足で300円ちゃんを追う。それで、ここまでのタクシー代はいくらだ?」
「5万円」
「はぁ?」
「だってですよ、修理代がいくらかかるか分かりませんのですよ?5万じゃ納まらないかもしれない。私の責任ですけど私をあんな風に上機嫌のさせたのはお客様ですからお客様の責任でござんすよ!」
「そんなん知るかよ。5300円とか言ったよな。それ以上は払う気がない。ほれよ」
青年は5300円支払ったが、
「ケッ、こんなはした金で故障が直せるかい。まぁお客さんには関係ないでしょうねぇ。私がタクシー壊して路頭に迷って死んでもお客さんには関係ないでしょうねぇ。ああ、我ながら哀れなタクシーの運転手さん……」
「まぁ関係ないな。それじゃ」
出ようとすると、
「逃がすかぁ。この見殺し、いや人殺しぃいいい……」
運転手は鬼の形相で青年にしがみついてくるではないか。
「ああもう、いくらならいいってんだよ」
「せめてもう5000円で、合計10000円くらい……」
「仕方ねぇなぁ。これやるから追わせろ!」
青年はヤケになって車内に1000円札5枚を投げ捨てると、
「あああ金だあ。1000,2000、3000……4000はどこだぁ。……そこかぁ。4000~」
運転手はハイエナのように舞い落ちる札束に喰らいついた。
「とんだ金と時間を喰ってしまった……待ってろ、愛しの300円ちょわーん!」
青年はタクシーから降りると、全速力で転がる300円を追った。
「300円ちゃんは、俺の希望」
希望を想い、その足は更に速くなる。
「300円ちゃんは、俺の心の太陽」
心の太陽を想い、その足はますます速くなる。
「300円ちゃんは、俺の人生!」
人生を想い、その足は誰にも止められない速さになった。
……しかし、それがいけなかった。
「!?」
強い衝撃に襲われ、青年の体は一瞬のうちに泥まみれになっていた。
「へっへっへ。バカがひっかかったぜーい!」
青年を覗きこむガラの悪い男たちの姿から察するに、どうやら不良中学生たちの作った落とし穴にまんまとはまってしまったようである。
「ふざけやがって……300円ちゃんの元へ行かせろぉ……」
青年が這い上がろうとすると、
「それそれーっ」
不良中学生たちは調子に乗って上から泥をかけた。
「やめろーっ!やめてくれーっ!300円ちゃんが、300円ちゃんが俺を待っているんだーっ!」
「300円ちゃん?誰だそいつは」
「俺の希望であり、俺の心の太陽であり、俺の人生だ!」
「そんなに大事なヤツなのか。だとしたらタダで返すわけにはいけねぇなぁ!」
「ここを通ってその300円とかいうヤツの所へ行きたければ、それなりの金を出せ!」
「ぐぬぬぬ……このアリジゴク中学生どもめ。結局は金が狙いか……」
「この世は金さ。一生そこでもがいていたんならそれでもいいが、早く出たいんなら金を出すんだな」
「また大金を支払ったら、300円を取り戻すどころかますます損してしまう……しかし、ここで諦めたらあのバカタクシーに1万円も払ったのがパーになってしまう。絶対に……絶対に諦めないぞ!」
言葉だけ聞くとどこぞのヒーローばりのカッコ良さがあるが、
「もってけ、ドロボー!」
実際は悪に屈して札束をバラまいただけである。
「1000、2000、4000、8000……たったこれだけかよぉ」
「こんなはした金でここから出ようなんて甘いんじゃねぇか?」
「ええい、仕方ない!」
青年は意を決して残る1万2000円をバラまき、
「フーウ!やったぜーい!」
不良中学生たちが狂喜乱舞して札束を拾い集める隙に穴から這い上がった。
「ちくしょう、待ってろよ300円ちゃん!」
泥だらけのままで懲りずに全力疾走を続けていると、
「おーい、相変わらず精が出ますねぇ」
その横で聞き慣れた声が響いた。
「お前!」
何とあのタクシーの運転手が元通りになった車内から身を乗り出してニコニコ笑っているではないか。
「いやぁ、実はあの後すぐタクシー直りましてねぇ。お陰でこうして、また儲けられるってもんです」
「そりゃあちょうどいい。まず修理代5000円返せ」
「何ですか?その5000円ってのは。お探しなのは確か300円じゃなかったっけ。遠出して成長でもして300円から5000円に値上がりしたんですか?」
「とぼけるなこの野郎……って、まぁいいや。とりあえず乗せてくれ。さっきの金はそのお代って事で」
「いえいえ。残念ながら、今お客様をお送りしているところでして……」
後部座席を見ると、客席には金持ちそうな身なりの夫人が足を組んで座っていた。
「運転手。何ですのこの男は。まぁ泥だらけで汚らしい。これだから貧乏人は嫌ですわ」
「ごもっともです、お嬢様」
「それより信号が青になりましたわ。これで進みなさい」
夫人が何の躊躇もなく10万円もの大金を投げつけると、
「ヒャッホーイ!嘘の不幸話なんかしなくてもホイホイ金を出してくれる金持ちは最高だぜ!あばよ、貧乏人!」
タクシーの運転手は上機嫌で車を走らせ去っていった。
残された青年の怒りはピークである。
「汚らしい貧乏人だと……?それに、あの不幸話は嘘だって?タクシーが無事ならあのまま乗っていれば不良中学生どもに20000円巻き上げられず泥だらけにもならず、300円も追えていたんじゃないかよ……ちくしょう……ちくしょおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
激情の雄たけびを上げていると、
ぶおーん……
目前の駅のホームに電車が到着した。
「この電車は6両編成、普通品山行きです。当駅を出ますと、次は相川駅に……」
「さすがに1駅先までは行ってないだろうな。こうなったら先回りだ!」
駅へ入ると、切符は300円である。
「300円ちゃんと同じ額かよ。だが仕方ない」
切符を買い、駆け込み乗車で普通列車に乗り込んだ。
「誰かに拾われているなよ……」
祈っていると、
あっという間に到着した。
「これで300円はぼったくりだろぉ……」
世の中そういうものである。
「まぁいい過ぎた話だ。ここで待っていれば300円ちゃんは向こうからやって来るはず。追うばかりだったのが先回りとは気分が良いぜ」
青年は駅前の歩道に立ち、300円が来るのを待った。
「さあ来い300円。俺の、俺のこの胸に。飛び込んできなしゃーい!」
だが、待てど暮らせど300円はやってこない。
「そういえばインチキタクシーで追っている時も300円ちゃんを拾おうとしたガキんちょがいたな……もしかしてまたああいう奴らが出てきて、300円ちゃんは今頃……」
不安が募るばかりである。
「無事でいてくれよ……」
祈っていると、
やがて地平線の彼方から何かが勢いよく転がって来た。
「まさか!?」
そのまさかだった!
「おおおおおおおっ!300円ちゃん!我が愛しき300円ちょわーーん!」
遂に、感動の再会が訪れたのである。
青年は道路へ身を乗り出して300円をその手に掴み、愛を込めてすりすりと頬ずりをした。
「よくぞ……よくぞ無事でいてくれた!俺の希望、俺の心の太陽、俺の人生。ああ300円ちゃんよ!」
思えば長い道のりと、莫大な出費であった。
「300円を取り戻すため、タクシーに1万、不良中学生どもに2万、電車賃に300円……合わせて3万300円も使ってしまった。合計3万円の出費か……」
だが、
「どいつもこいつも金、金、金だ。儲かる額が少ないと文句を垂れ、大金が入れば飛び上がって喜ぶ。しかし俺は違うぞ!俺はこの300円を、このたった300円を30000円犠牲にしてでも取り戻したいと心から思うほどに大切にしている。金よりも、金額よりも大切だと心から思えるこの感情は……愛だ。そう、俺はこの300円を本気で愛してしまっている。本気の愛が行う事は……結婚だ!」
スゴい発想が出てきたものである。
「さぁ300円ちゃん。2人で素敵な家庭を築こうじゃあないか……」
青年が300円と2人で送る幸せな日々を思い浮かべた時だった。
「……!?バカヤロー!どっ、どけえええーっ!」
視界にトラックが飛び込んできたかと思うと青年の体は宙を舞い、やがて何も分からなくなってしまった……
「う、うーん……」
どれくらいの時間が経ったか見当がつかない。
しかし、青年は確かにはっきりと意識を取り戻した。
「ここは……?」
病院のベッドのようだった。
「最後にトラックが見えて、気が付けば病院のベッドの上という事は、トラックに轢かれて搬送されたと思っていいんだろうなぁ。でもどこも痛くない……いや、心が痛い。300円ちゃんは、300円ちゃんは何処だ?トラックに轢かれたのだとすると吹き飛ばされた俺の手から離れて、行方不明に……大変だ。ああ、どうしようどうしよう……」
青年が取り乱していると、
「やれやれ、呆れた方だ。300円などより、まずは自分が助かったことを喜び命の恩人に感謝して欲しいものですね」
白衣の医師が入って来た。
「300円などとはなんだ、300円などとは!300円ちゃんはなぁ、俺のお嫁さんになってくれるはずだったんだよ!」
「うーむ、交通事故で頭をやられましたか。私の手術は完璧だったはずなのに。そうか元からおかしかったのか……」
「いちいち失礼な奴だなぁ。これぁ元からで、元からマトモなんだよ!それより、手術って何だ」
「無論、意識不明で運び込まれてきたあなたに行った緊急手術ですよ。あなたがこうして一命を取り留めたばかりか何の痛みもなくそうしていられるのは全て私の実力です」
「そうか。そりゃあ世話になったな。そんじゃ、300円ちゃんを探してくる」
青年は立ち上がって外へ出ようとしたが、
「命の恩人に向かってずいぶんと雑な対応ですねぇ。私があなたの手術にどれだけ苦労したかも知らずに。本来ならあなたはとっくに死んでいてもおかしくはなかったんですよ」
医師は礼を強要してドアの前に立ち塞がる。
「はいはい、お世話になりました。ありがとうございました!俺を救ってくれるなら、ついでに300円ちゃんも助けてほしかったけどな」
「感謝の気持ちがこもっていない雑なお礼ですねぇ。私があなたをお救いしたのは重症者を見ると放ってはおけない医者としてのプライドもありますが……全てはこれですよ、これ」
医師が提示したのは、これまた金である。
「また金かよ。俺の手術でいくらか儲かったの?そりゃ良かったねぇ」
「違います。あなたから頂くんです!」
「俺から?まぁ一応は命の恩人だしなぁ……分かった、ちょっと待ってろ」
青年は財布をあさったが、
「300円ちゃんの騒動で使い果たして、これだけしかないや。ほい、手術代200円」
残りはたった200円である。
「200円……私がどれだけ苦労したかも知らず、たったの200円……」
「知らないから200円でも高いくらい。300円ちゃん、今いくぞーっ」
「行かせるか!うー、もう我慢できない。看護師!」
医師は女性看護師を呼びつけると、
「私が戻るまで、この恩知らずのバカを見張っておきなさい」
「はい先生」
奥の部屋へ戻った。
「これ以上何があるっていうんだ?そうこうしているうちにも、300円ちゃんは……ああ心配だ心配だ心配だ……」
青年がそわそわと待っていると、
「フン!フン!フン!」
医師が書類を抱えて鼻息荒く戻って来た。
「いいですか患者さん。あなたは私の手術がどれだけ大変なものだったかまったく理解していない。この手術は今までにないほど大がかりなもので、1000年単位で医学界の歴史に残る超ハイレベルなものだったのですよ。それなのに患者さんときたら……ああ、私も不幸な医者ですよ。あれだけの事をして救った男が、こんなバカだったとは!ああ、情けない。せめてがっぽり儲けなければやってられんのです。ほれ、請求書」
医師は青年に手術費を記載した請求書を投げてよこした。
「がっぽり儲けるって、3万くらいか?嫌だなぁそんな高額……」
請求書に目を通すと、
「えーと、ふむふむ。で……『合計300300300300300300円』」
あり得ないほどの高額である。
「死ぬまで働いても一般人にはとても返済できない額かと思いますが、あなたの未来を守った命の恩人への奉仕としては安いものでしょう。これからは365日24時間、びっしりと働いて返済してもらいますよ。じゃ、失敬」
一人残された青年は請求書を持ったままガクガクと震えた。
「あ、あ、あ、あはははは……凄いぞぉ……請求書に300円ちゃんが6人も……借金を返済する一生ということは、これからはずっと300円ちゃん達と一緒だ……はは、はははは……」
失ったものの大きさと過酷すぎる現実を前に、青年は笑った。もう笑うしかなかった。