その青年・望月は、名前の通りお餅が大好物だった。
大好物すぎて、
「モーチモチモチ」
笑い方までお餅絡みなのである。
それを見て気味悪がった会社の同僚達は、
「そこまでお餅が好きだなんて、もしかしてお前の体そのものがお餅でできてんじゃないの?」
冗談半分でからかったが、
「えっ、そうなの?俺、お餅でできてんの?じゃあお餅食べ放題じゃん! いただきまーす」
それを真に受けた望月は自分の腕にかぶりついた。
「ぺっぺ、まずい! 俺の体はお餅でできていない!」
こんな単純な男なのである。
そんな望月は仕事もまた単純なオフィスワークに就いていたが、
「おい望月! 何だこの資料は」
「はい、お餅の素晴らしさについて……」
「バカ野郎! こんなもんがうちの企業の計画書になるか!」
「あーっ、破かないで―ッ! 俺の、俺の人生25年間のお餅への愛の結晶ー!」
餅が好きすぎるあまり、仕事にもお餅絡みの支障をきたしまくっていた。
「辛い仕事だなぁ……作業は厳しいし上司は怖いし。何もいいことないや。こんなところで働き詰めの人生だなんて俺の人生とは何て虚しいものなんだろう。だからといってここで会社を辞めれば田舎から鬼のような父ちゃんがやって来て俺は半殺しにされてしまう。あーあ。……休み時間まであと2時間もあるのか……ああ、お餅……お餅が食いたいよぉ……」
怒られて意気消沈した望月がお餅を求めてふと天井を見上げると、なんと牛型のお餅が天井にぺっとりと張り付いているではないか。
「ありゃ何だ?あらぁお餅だ。何でこんなとこにあるんだろ?そりゃ勿論、天からの贈り物。俺があんまりにも哀れなもんで、神様が救いの手ならぬ救いのお餅を差し伸べてくれたんだな。神様あざーす!そんじゃあご加護に甘えていただきますねー! バク!」
望月が感極まってその牛型のお餅に噛みついた途端、
「ありゃ?なんだかいーいこんころもちである……」
妙に気持ち良くなり、
「ふぁあ……ちぬぁみに……こんころもちってのはお餅じゃなくて気持ちのことね……でも気持ちもお餅もモチはモチ。やっぱお餅はいいよなぁ……モーチモチモチ……グー……」
あっという間に眠りについてしまった。
「望月!」
「望月さーん!」
「望月ちゃーん!」
「望月くーん!」
「う、うーん……」
望月が目を覚ますと、
「うおっ!?」
望月の顔を覗き込んでいるのは例の牛型餅だけでなく、なんと豚型餅に、馬型餅に、羊型餅に、鳥型餅に……多種多様な動物型のお餅たちではないか。
「おおっ、何というお餅天国! 問答無用で完食させて頂きます! では、あんがー……」
望月は早速、牛餅にかぶりつこうとしたが、
「こら、待て待て」
牛餅は即座に自慢の角で望月の顎へ一突きをお見舞いした。
本来お餅に突かれてもネバネバするだけで痛みなど生ずるはずがなかったが、
「イテ―ッ!」
望月はまるで本物の牛の角で突かれたかのような激しい痛みを確かに感じた。
「な、なんでお餅がこんな力を持ってるんだ……」
「それはこの俺様が前世では本物の牛だったからに決まってんじゃねぇか、モーモー」
「前世では本物の牛?」
言われてからハッとして突かれた顎をさすると、もう痛みは消えているではないか。
「あれ?痛みが消えてるぞ」
「当たり前だろ。そもそも実際は餅に突っつかれたに過ぎねぇんだ。餅に突かれて痛みは生じない。前世譲りの痛みの感覚に襲われただけだ」
「じゃあ痛いって気がしただけで実際に痛くはなかったのか?」
「そういうことだ。餅が好きなのは結構だが、まずは人の話を、いや牛の話を聞けってんだ」
「牛の話はどうでもいいけど、牛のお餅の話ならおいしそうだから聞いちゃおう」
「よろしい。まずここは、どうぶつのもちの世界だ」
「どうぶつのもち、ねぇ。何かゲームみたいな名前だなぁ」
「ゲームではないが、現実かと言われれば微妙だ。なんせ現世で死んだ動物の魂が餅に姿を変えて生息するようなところだからな。ただ、お前のような生きた人間がやって来る事を思えば現実と言えなくもないかもしれないな、モーモー」
「おお、動物の魂がお餅に?そりゃいいや!餅好きの俺には何ともおいしい話だねぇ」
「現実世界に失望し、一心に餅を求める強い心がお前をこの世界へ呼び寄せた。だが、この世界とお前のいた職場のどちらが居心地がいいかは何とも言えん。職場と違ってここは自由だが、反対に食料が一切ないからな。飢え死にする時になって、やっぱりあっちの方が良かったって思うかもなぁ」
「モーチモチモチ。ご冗談を。あんたらがみんなお餅という最高の食料でないの。いたらきまーす!」
望月は再び牛型餅にかぶりつこうとしたが、
「だから、そうはいくかってんだ!」
「イテ―ッ!」
また角で突かれたかのような感覚に襲われてしまうのだった。
「じゃあ豚か羊なら、そんなに獰猛な動物じゃないから抵抗しないな?」
そう思った望月は今度は豚型餅と牛型餅にかぶりつこうとしたが、
「そうは、ブーッ!」
「いかないんだ、メーッ!」
豚型餅は強烈な鼻息の嵐のような感覚で望月を翻弄し、
「ウワーッ!」
羊型餅は羊毛の温かい温度を極限まで上昇させた熱地獄のような感覚で攻め、
「アチーッ!」
結局のところ、望月はどの餅にも口をつけることが叶わないのである。
「何だよ……ただのお餅自慢かよ! こんな夢の世界もあるんだぜー。お前には食わしてやらないけどな、ってか?みんなして俺を笑うんだな。もういい、帰る!」
「残念だが、一度この世界に入ったらここにある餅を全て食べ尽くすまで元の世界には戻れない」
「何ィ!? じゃあお前ら食わせろよ。食わなきゃ帰れない、でも食わしてもらえなくてこのままじゃ飢え死にって、そんな理不尽な話があるか!」
「ああ、確かに理不尽だな。だがよ、俺達は前世でもっと理不尽な目に遭ってんだ」
そう言うと、牛型餅は静かに語りだした。
「俺は牛型餅のギュウドン。こっちは豚型餅のブタドン。こいつは馬型餅のバサシ。で、こいつらは羊型餅のジンギスカンと鳥型餅のヤキトリンだ。俺達は名前の通り、前世では牛丼やら豚丼用の肉となって最期を迎えた。それはまぁ別にいいんだ。人間に食われることが俺達の宿命だと思ってるからな。だが、気に食わねぇのは俺らを食った人間どもの態度だ! お馴染みの牛丼チェーン店で俺の肉を食った男が何て言ったと思う?『ああ、まずかった。やっぱこんな安っぽい牛丼じゃ駄目だわ。隣のパン屋で口直しすっかな』だとよ! だったら最初から食うなってんだ! むさ苦しい牛丼屋なんかに入らずにパン屋で優雅にクリームパンでも食ってろってんだよ。俺はそんな根性の腐った野郎の汚い胃袋に入るために肉にされたのかと思うともう悔しくて悔しくて!」
「おいらも同じだブー。『実に淡白な味の豚丼でしたわ』って、金持ちのお嬢様が豚丼なんか食うなブー!」
「僕もさ。一度馬刺しを食べてみたいと言っておきながら、いざ食べてみたら一口で残飯行きだ。酷すぎるとは思わないかい?」
「あたいの場合はもっと酷いよ。ジンギスカンの歌ってのがあるだろ?あの歌が好きだから実物を食べてみたくなったって下らない理由で肉にされ、結局は一口でポイだよ!」
「私は酒のおつまみで食べられましたんですよ。食べられてる時はうめぇうめぇって言われて満足でしたけど、最終的には飲み過ぎた勢いで全部道端に戻されましてね。『どうせ戻しちまうんならあんな値段が高いだけの焼き鳥なんか頼むんじゃなかったぜ。あー汚ねぇ』ですってよ!」
「今こそ声を大にして言いたい! なぁ俺達を食った人間よ、お前らは本当にあそこで俺達を食わなきゃ生きていけなかったか?俺達はお前らの胃袋を満たすためにこの生涯を終えて肉となったわけだが、それに匹敵する重みがお前らにあったか?……ねぇよな?遊び半分で食ってみて、まずかったー終わり。そんだけだよな?そんなもんのダシにされた俺達の気持ちが分かるか?」
餅たちの話によると、皆がそれぞれ前世で散々な食され方を迎えたようである。
「ああ、そりゃ何とも気の毒だなぁ……でもその人間って俺の事じゃないよな。牛丼食べてまずいからパン屋行こうなんて言った事ないし、俺はお嬢様じゃないし、馬刺しとジンギスカンは食べたことないし、焼き鳥食べて戻したことなんてないもんなぁ。だから俺に言われてもって感じなんだけど」
「人類代表としてお前に言ったんだ! ……生まれ変わって餅となっても、俺達は結局のところ食い物。また人間に食われて終わるのならそれで構わないと思ってる。だが、前世でこんな目に遭ったからな。どうせなら今度はしっかり納得のいく食べられ方じゃなきゃ許せねぇ。まず食べられる人間のことだ。あんなクズ共じゃなく、食べられる側の俺達が無二の友と言えるような存在でなくてはならない。友に食われ、その命を繋ぐ糧となれるなら食物としてこの上なく本望だからな。そしてもう一つ。俺達を食わなくても死なないなら食うなって事だ。飢え死に寸前で友が生きるか俺が生きるかという切迫した事態でなければ、この命は差し出せない。まぁつまり、俺達が無二の友と認める人物が飢え死に寸前で俺達を食べなければもう生命の限界だというんなら、この身を食わしてやってもいいぞって話だな」
「じゃあ俺、今激しく飢え死に寸前でもーう超絶腹ペコ! そんでもって餅好きの望月くんは全てのお餅の無二の友! だからみんなを食べさせてちょーだい!」
望月は再びギュウドンにかぶりついたが、
「だからそれはおめぇが決めることじゃないってんだよ!」
また再び牛の角で突かれたかのような感覚をお見舞いされた。
「イテ―ッ!」
「いいか望月。無二の友とはお互いがお互いを親友と認めてこそ成り立つものだ。まずお前は、今俺を食べようとするのに何の戸惑いもなかった。それは明らかに無二の友を食い殺す態度じゃあないよな?そしてもう一つ。そもそも俺達の中でお前は無二どころか、友ですらない。ただ無礼で頭の悪い愚かな餅人間という印象だ。……だが、それはあくまで現時点での話だ。これから先、お前が俺達に心から親切にしてくれるってんなら、友として認めないこともないぜ」
「心から親切にって……じゃあ俺に何をしろっての?」
「ああ、例えばだな……おい望月、ちょっと耳を貸せ」
ギュウドンは望月を屈ませると、その耳元で密かにささやいた。
「実は俺、この間ブタドンと激しい言い争いしちまってよぉ。向こうは気にしてねぇようにみえるが、本当はまだ根に持ってるかも……ってちょっと気まずい状態なんだよ。だからお前からさりげなくアイツにこのお詫びの品を渡して欲しいんだ」
そう言ってギュウドンが差し出したお詫びの品とは、ただの石ころではないか。
「別にいいけど、こんなもん貰ったらかえって怒るんじゃないか?仲直りに石ころってのはどうにも……」
「ん?ああ、この石ころは気にすんな。絶対アイツの求めているモンだからよ。俺は今から家に帰るから、俺が離れた後でさりげなくそれ渡して、届け終わったらアイツの反応を教えに来てくれや。じゃあ後でな」
そう言うとギュウドンは足早に去って行き、
「そういや洗濯物入れなきゃだったメー」
「彼女へのプレゼントを選ぶ時間だヒヒーン」
「観たいテレビが始まる時間でしたチュン」
「明日の準備をしておかなきゃブー」
他の四人も去りかけたが、
「あっ、ちょっと待ったブタドン」
望月は慌ててブタドンを呼び止めた。
「ん?またおいらを食べようとして鼻息の嵐のような感覚を受けに来たブー?」
「そうじゃなくて、これギュウドンから。よく分かんないけどお詫びの品だってさ」
「へん、あいつの事は信用できないブー。本当に反省してるなら自分で謝りに来いっての。わざわざ人間を使いによこす辺り心がこもってないって感じ。物で釣ろうったってそうはいかな……」
ブタドンは不機嫌にそう言いながらも望月から渡された石を地面に投げつけると、
「ワッ!」
何とその石ころは驚く望月の前で一瞬にして高級そうな二段ベッドに変わったではないか!
「えーっ、グレートなにだんベッド?あの程度のことでこんないいもんくれるのかブー?やー、ギュウドンっていいやつ。ギュウドンって頼れるお餅界のリーダー。もうぜーんぜん気にしてないブー」
まだ根に持っていたブタドンの態度がコロッと変わった辺り、よほどの良い品なようである。
「そうだ、こういう時に人間は役に立つブー。望月、ちょっとこれをおいらん家まで運ぶの手伝ってくれないか?」
「えっ、お前もしかして今日からこれで寝るの?」
「当然。これで今までのやすっぽいベッドとはおさらばブー。小柄なおいらにはこれを家まで運ぶのがどれだけ苦労することか分かるだろ?」
「まぁ俺が運んだ方が効率的だろうな……うん、いいよ。でも荷台とかないと厳しいんだけど」
「それならここにあるブー。それっ!」
ブタドンが懐から別の石ころを取り出して地面に投げつけると、
「おぉ……」
その石はまた荷台へと姿を変えた。
「じゃ、頼むなー。おいらん家はこっちだブー」
こうして望月はブタドンの先導で荷台を押して彼の家までベッドを運び、
「はい到着! お疲れさんだブー。運んでくれて助かったよ」
ブタドンは望月に感謝した。
「ああ、どういたしまして。どうせなら家の中に置くところまでやってもいいけど」
「い、いや。それは自分でやるからいいブー。望月はギュウドンにおいらがありがとうって言ってたって伝えにいってくれ。ギュウドンの家は、ここから真っ直ぐ行った先の行き止まりの家ブー」
「あ、そう?ここからは自分で出来るならいいけど。んじゃそう伝えてくるわー」
言われた通り、ギュウドンの家は真っ直ぐ進んだ先の行き止まりである。
「おーいギュウドン。ブタドンに届けて来たぞー。最初は怒ってたけど、あのベッドを見るなり掌返すように喜んじゃって、ギュウドンに感謝してた」
ドアをノックしてそう伝えると、
「よぉ望月。ご苦労さん。まぁ上がってくれや」
中からギュウドンが出てきて望月を家の中へ招いた。
「お邪魔しまーす」
ギュウドンの家に上がってみると、
「おぉ……」
そこには椅子、テーブル、キッチン、ベッド……と生活家具が充実しており、とてもお餅の一人暮らしとは信じられない整った内装であった。
「どうだい。餅だからって適当な部屋に住んでると思っちゃ大間違いよ。ちなみに、俺のお気に入りはこの観葉植物だ」
「こんなちっこい体のくせにいい部屋住んじゃってぇ。まぁ、お餅は世界一神聖な食べ物だからなー。うんうん。じゃあブタドンもこんな感じの部屋に住んでたのかな。家までベッドを運んで、中へ上がろうとしたら後は自分でやるからいいって言われたけど」
「そうか……あいつはまだ、お前のことをそこまで信用してないってこったな。相変わらず疑り深いヤツだぜ」
「えっ、どういう意味だ?」
「まぁ、そこのソファにでも座って聞け」
ギュウドンは望月をソファに座らせると、自身も椅子に腰かけ説明を始めた。
「こうやって家の中へ入れるのは、俺が今回の一件でお前を少しは友として認めてやった証拠だ。だが、同じように世話になってもブタドンにとってはまだそこまでじゃないって事だな。まぁどう感じるかは人それぞれ……もとい、餅それぞれだ。こうして餅の願いを叶えていけば俺達の中でお前の友好度も少しずつ上がっていく。そうすれば、いずれは親友として認めてやらないこともないかもしれないぜ」
「おお、そうか。じゃあ、家に入れてくれたギュウドンとはもう親友って事で! いただきまーす……」
「だから、少しって言ったろ?親友にはまだ程遠いってんだ!」
「ぎぇーっ!」
望月が再び牛の角で突かれたかのような感覚に襲われてソファからひっくり返っていると、
「お邪魔しまーす。おや、望月くんじゃないか。どうしたんだい?」
ギュウドン家のドアを開けてバサシがやって来たではないか。
「よぉ、バサシ。俺に用か?」
「やぁギュウドン君。ヤキトリンさんにプレゼントを贈ろうと思ってプレゼント候補リストを作ったんだけど、どれが彼女のお好みなのかボクの力では分からなくてね。キミの方がヤキトリンさんとの付き合い長いだろう?アドバイスをくれないかな」
「へっ、キザな野郎だぜ。また女の子へプレゼントかよ。呆れたもんだ。俺はあいつの好みなんか知らねぇし興味もねぇよ」
「……ははは、キミみたいなつまらない男に頼んだボクがバカだったようだね。じゃあ望月君、キミに頼もうかな。ちょっとヤキトリンさんのところへ行って、彼女の好みをそれとなく聞いてきてくれないかい」
「えっ、俺が?」
「いい機会じゃねぇか望月。こんな下らない頼みでも、引き受けてやればこいつとの友好度も上がってくってもんだぜ」
「おお、そうか。よーしバサシくん。お餅の依頼なら餅好きの望月くんに任せなさーい!」
こうして望月は第2の依頼を引き受け、
「私が好きなのは青色のものですかね。最近好きになってこれから集めようと思っているので、青色ならなんでも嬉しいです。ところで望月さん、一つお願いしていいですか?実は、私の庭のお花にお水をあげて欲しいのですが……」
それがまた第3の依頼に繋がり、
「おっ、ヤキトリン家の水やりかー。精が出るねぇ望月ちゃん。ついでにあたいん家の掃除も頼むわ」
そしてまた次の依頼……と繰り返され、望月は次第に餅達から信頼される真のお餅好きへと成長していった。
「餅と仲良くなってこそ、真のお餅好き……これぞ真のお餅天国……なんだけど……」
あれから3日経ち、ギュウドンから紹介された空き家で寝泊まりしていた望月はこの3日間で餅達との関係が深まったことを振り返ってしみじみ満足げな表情を浮かべたが、
「ハ、ハラ、減ったァ……ここに来てから4日間、何も食えてねぇ……」
事態はかなり深刻なのである。
「もう……我慢できない。これだけ親切にしてやったんだからもう大親友も同然だよな。友情の証として全員完食させてもらおう……」
望月は満身創痍の体でフラフラと家を飛び出しギュウドン達の元へ向かったが、
「確かに俺はお前の事を友だと思っている。だが……俺はこの程度の友情で満たされるほど安い男ではない!」
「悪いね、望月君。僕にはまだ君の命より女の子と過ごす時間の方が大事なんだよねっ!」
「確かに望月さんは私達の言うこと聞いてくれて親切ですけど、それって結局はこうして空腹の限界が来た時に私達を食べる為なんですよね?」
「そういう上っ面だけの関係は無二の友って言えないんじゃないかと思うんだよメーッ!」
親密度が高まったと思われた4人の餅からは拒絶され、牛の角で突かれたような感覚と、馬の脚で蹴飛ばされたような感覚と、鳥のクチバシでつつかれたような感覚と、羊毛の温かい温度を極限まで上昇させた熱地獄のような感覚に襲われて遂に倒れこんでしまった。
「な、何だよ……話が違うじゃないかよ……あれだけ親切にしてやったのに……いざとなるとどいつもこいつもやっぱり命が惜しいのかよ……けどまぁ……俺が逆の立場だったら、友の為でもそう簡単には命投げ出せないかもな……これも仕方ないかぁ……」
望月は自分の運命を受け入れて静かに目を閉じようとすると、
「望月」
倒れ伏した望月の前にはいつの間にかブタドンが立っていた。
「ブタドンか……ギュウドンから聞いたよ……家に上がらしてくれないのは、俺の事を友として認めてないからだってな……結局、あれからお前は一度も家の中へ入れてくれなかった……今でも俺の事は、友達とすら思ってないんだよな。そんな奴が大事な我が身を食べさせてくれるわけないよな……変な期待はしてないからさ、お前はさっさと帰れよ。それとも、俺の死に様を笑いに来たのか?」
望月は息も絶え絶えに投げやりな言葉を吐いたが、
「望月……すまなかった、ブー」
「……えっ?」
ブタドンは深々と頭を下げてそんな望月に謝った。
「おいら……本当は望月に親しくしてもらったこと、嬉しかったんだブー。だけど、素直になれなくて……」
「でもヤキトリンやジンギスカンが言ったように、結局俺がお前らと仲良くしたかったのは自分が生き残りたいから、それだけなんだ。考えてみりゃ、それで無二の友扱いしろってのも酷い話だよな……」
「確かにそうかもしれない。けど望月は、根っからのお餅好きだ。おいら達お餅と接している時、心の底から楽しんでいたんじゃないかな。生き残るためとか、損得とか、そういうことは抜きにしてもさ。そういうのって、口にしなくても態度にハッキリ出るもんだよ」
「生き残る為とかは抜きにしても、心の底からお前達と仲良くできるのを楽しんでいた……か」
そう言われて改めてお餅達との交流の日々を思い返してみると、確かにその通りである。
「俺は根っからの餅好き。お餅に人生を捧げている男だ。そんな俺が、ただ食べて終わりじゃなくて、お餅と言葉を交わして仲良くなれているだなんて……考えてみたらめちゃくちゃ嬉しい事だよな……」
「そうやって深く考えてみなくとも、望月のその気持ちは態度によく表れていたよ。それを見て見ぬふりしていたのは、おいらの方だったんだ……」
「ブタドン……」
望月はブタドンの言葉に胸打たれたが、
「ウッ……」
その胃袋の空腹度合いは限界を越え、とうとう目前のブタドンの姿までぼやけてきてしまった。
「なんか、もうダメみたいだ……俺の寿命は残り15秒……いや、あと3秒くらいかも……じゃあな、ありがとよブタドン……」
望月は自然と自身の空腹死を受け入れて静かに永遠の眠りにつこうとしたが、
「諦めるな! おいらを食って生きろ、望月―ッ!」
ブタドンはすんでのところで望月の開け放たれた口の中へと飛び込んだ。
「ふがっ!?ブ、ブタドン、お前……」
「いいんだ、望月。このままおいらを噛み砕け。お餅はよーく噛まないと喉に詰まっちゃうぞ。変な遠慮をして戻したりなんかしたら承知しないからな……同情なら別に要らない。おいら達の願いは、満足のいく食べられ方をすること。これ以上、満足できる最期があるかブー……」
「ブタドン……」
ブタドンとの間に確かに芽生えた心からの友情によって望月は自分が生き残る為とはいえブタドンを食べてしまうことに激しい抵抗を覚えたが、空腹の限界を越えた望月の体は正直で、本人の意思とは関係なく口の中に飛び込んできた4日ぶりの食べ物を存分に味わいムシャムシャと噛み始めた。
その味は通常の餅らしい風味がベースでありながら微かに豚丼の味もする独特なものであり、
「そうだ、それでいいんだよ望月。ほら、もっとよく噛め。それでな、おいらを食べ終わったら、おいらん家へ入ってみてくれ。別にお前の為にこれといった何かを残してあるわけじゃないけど、家に招待するってことが、おいら達お餅にとっての最低限の友の証……だから……」
「ブタドン!」
「じゃあな、望月……これでおいらも、前世での不遇な最期への恨みから解放されて……良かった……」
やがてブタドンの体は望月の胃袋の中で消化され、それがブタドンの最後の言葉となった……
「ブタドン! ブタドォオオ―ン!」
ブタドンを思って自然と溢れてくる涙を抑えずに激しく泣き叫んだ望月は、ふと気付いた。
「あれっ?4日間何も食べていない体でお餅1つ食べただけなのに、まったく空腹を感じない……」
ブタドンを食べ終わった途端、望月を瀕死にまで追い込んでいた空腹状態はまるで嘘だったかのように納まったのである。
「ああ、そうだ。それが俺達、どうぶつのもちの力なんだよ」
その言葉と共にギュウドン、バサシ、ヤキトリン、ジンギスカンが望月の元に戻って来た。
「ギュウドン、みんな……」
「俺達はただの餅とは大違いだからな。一度食べれば、一週間は空腹を感じなくなる。勿論それは俺がよくやる牛の角で突かれたような感覚のような幻ではなく、れっきとした体感だ」
「じゃあ、俺はこのままでもあと一週間は生きられるのか……?」
「おうよ。俺達もブタドンの男らしい立派な最期、しかと見届けさせてもらった。確かにあいつの言う通りだったな……お前は生き残る為に必要かどうかって事だけじゃなくて、本気で餅が好きで俺達とも心から友として向き合ってくれていた。この程度とか言って悪かったよ」
「僕も女の子の事しか頭になくて、一番大事なことを忘れていたよ……すまない、望月君」
ギュウドンとバサシは素直に謝ったが、
「私達には……まだ、分かりません。望月さんが、本当に友と言える存在なのかどうか」
「ブタドンがあんたの事を命を投げ出すほどの存在だって思った事は否定しないし、あの行動が間違ってるとは全く思わないよ。でも……あたいらにとって、まだ望月はそこまでの相手じゃないって事かな」
ヤキトリンとジンギスカンの間にはまだ壁があるようである。
「ま、こいつのことをどう思うかはお前らの自由だ。それにいくら友だと思ったところで、コイツがまた飢え死に寸前になるまでにはまだ一週間あるわけだしな。そんなことより望月。ブタドンの家に行かなくていいのか?それがあいつの友の証、なんだろ?」
「そうだ……ブタドン!」
望月は思い出してブタドンの家に向かった。
「ここが、ブタドンの家……」
ブタドンの家の中へ入ると、そこは最低限の生活器具を置きながらも様々なトレーニングマシーンを揃えた筋トレ部屋となっていた。
「あいつ、あの小柄で筋トレマニアだったのか……」
望月はうっすら涙を浮かべながら生前のブタドンに思いを馳せると、
「そうだ……筋トレだ! 俺も筋トレで体を鍛えて強くなろう! そうすれば一週間以上何も食べなくても平気な強い体を作れるかもしれない! ブタドンの犠牲を無駄にしない為に、これ以上誰も食べなくて済むように……俺はやるぞーっ!」
新たな誓いを立てるのだった。
それから一週間経ち、餅達の手伝いをしながらブタドンの家に住居を移し暇さえあれば筋トレを続けてきた望月は、
「筋肉! 筋肉! フン! フン! フーン!」
「おいおい望月、ちょっとは休めや」
「いや、休みは心の甘え。筋トレを愛する男は休んではいかんのである!」
筋トレの成果かあれから一週間以上何も食わずでも一切の空腹を感じていないようなのである。
「じゃあ息抜きも兼ねてバサシにこれ届けてきてくれ」
「おう! ではあえて遠回りして時間をかけることでジョギングを行いながらバサシん家へ向かうとするかぁ! 筋肉筋肉!」
望月は元気よくギュウドンの依頼を引き受けバサシの家に向かったが、
「はぁ、はぁ……ははは……筋トレで腹減らなくなるなら苦労はしないんだよな……」
瘦せ我慢しているだけで、本当は一週間前と同様に激しい空腹状態なのである。
「でもまぁ……ここまで堪えられたのはやっぱ筋トレの成果……かな……誰も犠牲にならなくていいようにする為には……俺が頑張るしかないんだ……」
だが生命に関わる体の問題は気力だけで持たすには限界があり、
「意識がもうろうと……してこないぞ……生命の限界なんか……感じないぞ……!」
再び地に伏して倒れこんでしまった。
「もうダメ……なんかじゃないぞ……!」
望月はいじらしくも強がり続けたが、
「ハハッ、望月君。男らしくカッコつけるのは結構だけど、本当にダメな時はハッキリと誰かを頼る事も大事だよ」
そこへ颯爽とバサシが現れた。
「頼る?……俺の為に死んでくれって、そんなこと言えるかよ……それよりバサシ、届けモンだぞ……」
「ああ、分かっている。今、中身を確認させてもらってるよ」
バサシは望月の手から小包を受け取って開封し、
「ハートフルなテーブルか。ギュウドン君も何だかんだで僕の事、よく分かってくれているね……」
その結果を見て満足そうに頷くと、途端に望月の口の中へと飛び込んだ。
「バ、バサシ!?」
「さぁ望月君。遠慮せずに僕を食べたまえ。僕ほど上質な味のお餅はないからね。口を開けたら僕が飛び込んできたなんて、餅好きのキミにとっては最高の光栄だよ」
その味は通常の餅らしい風味がベースでありながら微かに馬刺しの香りがするものだったが、馬刺しを食べたことがない望月にはそれが何の味かは分からず涙の味と認識した。
「やめろ! もうダメなんかじゃないって言ってるだろ。カッコつけるのもいい加減にしろよ……」
「僕の事は気にするな。無二の友を生かす為にこの命を投げ出す……男として最高にカッコいい最期じゃないか。僕はこういうのに憧れていたんだよ! これなら女の子の注目を浴びること間違いなしだ。ただのお餅にここまで優美な死に様を与えてくれて、キミには感謝してるよ、望月君……」
「バサシーッ!」
こうしてバサシは満足げに望月の胃袋の中へと消え、望月は再び一週間の猶予を得た。
「バサシが命を投げ出さなければならなかったのは、俺の鍛え方が足りなかったからだ。もっと鍛えて鍛えて強くなれば、一週間以上何も食わなくても平気になれるはずだ……残るギュウドンとヤキトリンとジンギスカンが犠牲にならなくてもいいように、俺は頑張るぞ!」
望月はそう言って固く誓い、
「望月さん……」
ジンギスカンと共にそれを見ていたヤキトリンは心動かされていた。
「あの人、やっぱり良い人なんじゃないでしょうか……」
「フン、どうかねぇ。あたいはまだ命を捧げる相手とまでは思えないな。というかあたいの場合、自分が一番大事だと思ってるから命を捧げる相手なんかできるはずないんだけどね」
だが、ジンギスカンはまだその気はないようである。
そしてまた一週間が経ち、
「鍛え上げた肉体の前には、空腹など屁でもないわ! 筋肉こそ至高!」
望月は更なる筋トレによって空腹を物ともしない屈強な性格へと成長したかに見えたが、
「……なーんて言えたら、カッコいいんだけどなぁ……」
やはりそれは餅達を死なせない為の強がりでしかなかった。
「無理に強がらなくたって充分カッコいい人ですよ、望月さんは」
「えっ、そうかい?……ふがっ!?ヤ、ヤキトリン!?」
そう言って望月の口の中へ飛び込んできたのはヤキトリンである。
「望月さんが真のお餅好きであることを、ヤキトリンはしかと見ました」
「真のお餅好き……って?」
「私達お餅の為に努力を惜しまず、辛い時も歯を食いしばって頑張ってくれる人です。それこそが、真のお餅好きさん!」
その味は通常の餅らしい風味がベースでありながら微かに焼き鳥の味がするものであり、
「ここまでお餅が好きな人になら食べられてもいいなって、思いましたね……」
ヤキトリンは満足げに微笑むと静かに望月の胃袋の中へと消えていった。
「ヤキトリ―ン!」
残るお餅は、あと2人……
一週間経ち、
「人体には、未知なる力が秘められている。鍛えて鍛え抜けばこそ、その力は発揮されるのだ!」
またも望月は体育会系のことを言っていたが、
「でも俺の場合、鍛えが足りないから結局のところ空腹には勝てないんだよなぁ~」
やはり結果は同じであった。
「ま、一週間が限界ってのが人間の体の仕組みなんだからこればっかりは仕方ねぇよ。遠慮せずに俺を食え」
「い、いやいや。ギュウドンは一番の友だ。一番の友を食べるわけには……」
望月が遠慮していると、
「じゃあ、二番の友を食いなッ!」
その口にジンギスカンが飛び込んできた。
「わっ、ジンギスカン!?俺ってまだそこまでの相手じゃないんじゃあ……」
「気が変わったよっ! ブタドンもバサシもヤキトリンもいなくなって、改めてみんながあんたに言った言葉を、自分の身を捧げてもいいって思ったほどのわけを振り返ってたんだ。確かに共感できるし、あたいも同じ考えを持ちたいって思った……それが答え、かな」
その味は通常の餅らしい風味がベースでありながら微かにジンギスカンの香りがするものであり、
「そうか、これが……涙の味じゃなくて、ジンギスカンの味、か」
望月はしみじみと理解した。
「じゃあね、望月ちゃん。あんたと過ごした四週間は、あたいの宝物だよ……」
「ジンギスカーン!」
こうしてジンギスカンは望月の胃袋へと消え、
残るお餅は、あと1人……
そしてまたあっという間に一週間が経過し、
「フン! フン! フーン!」
住民がギュウドンだけになったことで両者を通したお届け物系の依頼がなくなり仕事が減った望月は前にも増して筋トレに励んでいた。
「ハ、ハラが……ハラが……」
結局、空腹には勝てないかと思われたが、
「減らない! 減らないぞーっ! ほんとのほんとのほんとに減らなくなったぞーっ!」
なんと望月は筋トレによって人体の限界を越え、一週間経っても本当に空腹を感じない屈強な肉体を手に入れたのである。
「ほんとかよ望月! また強がりじゃねぇだろうな?」
「ああ、今度こそほんとに本当! これでギュウドン食べずに済むぞーっ!」
「そりゃあ助かった。タフな奴だなぁ望月。見直したぜ。でも限界がきたら遠慮なく言えよ。俺はもういつでもその気なんだからよ。じゃあ、とりあえず今は俺ん家の掃除、一緒にやってくんねぇか」
「おうともさ!」
こうして望月は空腹を感じることなくギュウドンの頼みを聞き、
「やー、助かったぜ。俺ん家もだいぶ綺麗になったな。ありがとよ望月」
「ああ、俺はギュウドンなんか食べなくても生きていけるんだからな! この綺麗な部屋で素敵な毎日を過ごしなさいっての」
そのまま二人で過ごす日々が一週間続いた。
「筋トレは……良いぞ……屈強な肉体を作れて、人類限界をも……越えるのであった……!」
望月はそう言って今日も筋トレに励んでいたが、
「まぁ、どうあったって限界はあるんだけどね……」
さすがに本当はもう限界なのだった。
「だけどさ……俺、決めたんだ……みんなが友を死なせないために命を投げ出したなら、俺もそうするって……ギュウドンを生かすために、俺が犠牲になるって……」
お餅達が自分の命を投げ出すまでの友情を望月に感じたように、また望月もギュウドンに対して同じだけの深い友情と強い覚悟を抱いたのである。
「あいつはひ弱な俺に何回も牛の角で突かれたかのような感覚をお見舞いするような乱暴な奴だけど、根は本当に良い奴だし、いつも俺の事、一番に気にかけて色々と教えてくれたもんな……家にだって一番最初に入れてくれたし。……どうぶつのもちの世界。ここはいいところだ。食べ物がなくても豊かな木々や自然に溢れ綺麗な花が咲き乱れ、家具も充実していてみんなが思い思いの豊かなスローライフを送れる……たとえ一人でも、ギュウドンがこの世界で生きていけたらいいんじゃないかな。俺なんかが、元の世界に戻ってお餅の話もできないような会社に働き詰めて一生を終えるよりはさ」
望月はこのまま生命の限界がきてもギュウドンの前ではいじらしくも精一杯強がり、自分の命を投げ出すつもりなのだった。
「でも、もうそろそろその限界に近いかな……これで最後になるだろうから、せめて何とか強がりが通じる今のうちにギュウドンに会っておこう」
望月はその硬い決心の元に家を出てギュウドンの元へ向かったが、
「バカ野郎。おめぇの考えなんざ、お見通しなんだよ……」
声に振り向くと、
「あっ、ギュウドン!」
なんとギュウドンは自身の体を焼き網に乗せ、その身を焼いていたではないか。
「焼身かよ!?や、やめろギュウドン! 今すぐそこから降りるんだ!」
「悪いが、お断りだ。おめぇが俺の為に命を投げ出すなんてあり得ない。おめぇは人間だろ?食いモンじゃねぇだろう! 俺は、餅だ。食いモンだ。人間は食いモンを食って生きていくもんだろ?人間が食いモンの犠牲になってどうするってんだ!」
「それはまぁその、見方によっては俺達人間だってジンニクな訳でさ。食べ物同士ならどっちがどっちだっていいんじゃないかな。ブタドンとバサシとヤキトリンとジンギスカンがその道を選んで満足した最期を迎えたように、俺もこの最期を選ぶことに満足してるんだよ……だからさっさとそこから降りろ!」
「ブタドンとバサシとヤキトリンとジンギスカンだ?気安くあいつらの名前を呼ぶんじゃねぇ! ここでおめぇが飢え死にしたら、あいつらの犠牲は何だったんだ! あいつらの覚悟を無駄にするつもりか!?」
「無駄になんかならないよ。少なくとも俺は、ブタドンとバサシとヤキトリンとジンギスカンのお陰で一ヶ月は長生きできたんだ。……それだけで、充分なんだ。だから……お前はこんなところで終わるな!」
望月は何とか火を消そうとフラフラの体に鞭打ち近くにあった消火器で消火作業を行ったが、
「無駄だ。この炎は、この焼き網本体だけのものじゃない。俺自身の心の情熱が着火したものだ。俺の気が変わらない限り、この情熱の炎は消えない。そして……もうすぐどっかのお人よしのお餅好きが喜ぶような、おいしい焼き餅がこんがり出来上がるぜ」
「そんな、そんな情熱があるかよ、ギュウドン……」
「ああ……俺もそろそろ限界だな。熱さで意識がもうろうと……してきたぜ……」
「今すぐその心の火を消せ、ギュウドン! 言っとくけど、俺の人生なんてくだらないもんなんだよ! あんなしょーもない会社で働くだけで、他にはなーんにもない。そんな俺よりお前がここで送るのびのびとした平和なスローライフの方がよっぽど価値がある。だから!」
「それで自分が犠牲になろうってのか……じゃあ俺はそれに対して何とも言えねぇな。おめぇの人生は、おめぇにしか分からない。けど……けどよ……それでも、人間っては……辛くても自分のいるべき場所で生きていかなきゃいけねぇんだ。そうすれば……いつか、報われることだってあるかもしれない。そういうもんだろ……だから……おめぇは元の世界に戻って、生きていけ……」
「そういうもんじゃない! やめろ、ギュウドン!」
「俺は満足だぜ、望月……前世では俺の事を食いたくもない人間に無理やり食われて酷い扱いを受けたってのに、ここでは俺を食べて死なせない為に自分の命を投げ出そうとする人間と、心から無二の友と呼べる存在と……一緒に楽しく過ごせたんだからな……これでやっと、食べ物としての生涯を全うできた……ありがとよ、望月……」
「ギュウドン! ギュウドーン!」
ギュウドンの意識は心に燃える情熱の炎によって完全に焼き尽くされ、
「ギュウドン……」
望月の前にはこんがりと焼きあがった牛型のお餅が一つ残された。
「ギュウドン……分かったよ。それがお前の出した答えなら……俺は……お前の遺志に従う……俺の中で生きていてくれ、ギュウドン……俺は、お前と一緒に生きていく!」
望月は覚悟を決めて牛型焼き餅の前で静かに手を合わせると、
「ギュウドン、いただきます!」
感慨を込めてギュウドンの体を掴むと口の中へ放り込み、深く味わいながら嚙み始めた。
その味は通常の餅らしい風味がベースでありながら微かに牛丼の味がするものだった……
確かに感食したと実感した途端、望月は何も分からなくなり……
「望月、おい望月!」
名前を呼ばれてハッと顔を上げると、望月の嫌いな上司の顔があった。
「このお餅野郎。いつまでも寝てんじゃねぇよ。お前のあんなゴミみたいな計画書が通るわけねぇだろう。さっさと真面目なもんに作り直せ!」
「課長。俺、一ヶ月も行方不明になってたんですよ?いきなり仕事の話ですか?」
「あ?何を言ってやがる。今日は何月何日だ?そこのカレンダーを見てみろ!」
「だから、あれから一ヶ月……あれっ?」
カレンダーを見ると、驚くべきことに望月がこの世界から消えどうぶつのもちの世界に飛ばされた日から1日も経っていないではないか。
「じゃあ、夢だったのかなぁ……?」
「ああ、そうだよ。お前のしょーもない人生そのものが夢みたいなもんじゃねぇか。一ヶ月行方をくらます夢だか何だか知らねぇが、さっさと計画書を作れ! 今度またふざけて書きやがったら承知しねぇぞ!」
そう言って心無い上司は去り、望月は全て夢だったのかと解釈しかけたが、
「いや、違う……夢なんかじゃない……俺は本当に、どうぶつのもちの世界に行ってきたんだ……」
その口の中には、確かに牛丼風味の餅の味が温かく残っていた。
「ギュウドン……お前の望み通り、俺はこっちの世界へ戻ってきたよ。だけど、やっぱり辛い仕事は押し付けられるし上司は嫌な奴だし、こんな人生がお前のあのスローライフと釣り合うのかなぁ……」
望月にはまだ分からなかったが、
「おう、望月! 言うの忘れてたわ」
上司が1人の顔立ちの整った若い女性を連れてきた。
「こいつは持田 餅子。今日からお前と組んで働くことになる奴だ。後輩ができたんだから、もうあんなバカな餅の計画書なんか作るんじゃねぇぞ」
そう言って上司が去っていくと、
「持田 餅子です。先輩よろしくお願いいたします! ところであの、餅の企画書って?」
餅子は好奇心に満ちた眼差しで望月に尋ねた。
「あ、望月です。よろしく……いやあの、つい自分の好きなお餅についての企画書を作ったら怒鳴られまして……」
「まぁ、先輩もそんなにお餅好きなんですか! 実は私も大好きなんです! 中でもやっぱりきなこ餅が最高ですよね~あ、私、3丁目の商店街のきなこファンクラブの会員やってるんですけど、今度先輩もご一緒にどうですか?」
「ええええええええええええ!?君もお餅好きなの?しかもきなこ餅ファンクラブってなにそれー」
「ああ、きなこ餅ファンクラブっていうのは……あ、まぁいいや。今はお仕事中ですし、後でお話しません?私達、何だか気が合いそうですね! 改めてこれからよろしくお願いします望月先輩!」
そう言って優しく微笑む餅子の笑顔は最高に美しく、
「ギュウドン……よく分かったよ。これが人生なんだよな。仕事は辛いけど、諦めずに続けていればこういう良い事はあるんだ。ギュウドン、ブタドン。バサシ。ヤキトリン。ジンギスカン。俺は頑張ってこの世界で、お前達からもらったこの人生、全うしてみせる!」
こうして望月は明るい未来への第1歩を踏み出していったのだった。