1000年以上昔、かの枕草子で清少納言はこういった。春はあけぼの。
季節の変化に敏感な日本人独特の美意識を表した名文である。僕も見習っていきたい。ちょうど夏が目前なので、夏について詠んでみようと思う。春はあけぼの、夏はポケモン。
そう、「夏はポケモン」である。
10人中100人がそのとおりだと思っただろうが、もしかしたらぴんと来ていない人もいるかもしれないので念のため補足しておこう。
なぜ夏にポケモンなのか。それは「毎年夏にポケモン映画が公開されるから」だ。
そう、今回話したいのは、ポケモン映画が名作ぞろいだということ。そして、戻れないはずの「あのころの夏の自分」を思い出させてくれるということだ。
〇〇、ポケモンやめないってよ
世界10億人が知っていることと思うが、アニメポケットモンスターは、「マサラタウン出身のサトシと相棒のピカチュウが、最高のポケモントレーナーの称号であるポケモンマスターを目指して冒険する物語である(CVオーキド博士)」
いやしかし、子供のころはまさか20年間もポケモンを見続けるとは考えもしなかった。
サトシは永遠の10歳だが、当時同年代だった子供は今ではもう3(略
ていうか、当時も「ポケモンは幼い子供のもの。ミニ四駆やハイパーヨーヨーやコロコロコミックと同じで、早く卒業しなくちゃいけないもの」だという固定観念があった。
「おれポケモンもうやってねーし」は当時日本中の子供たちが口にしたセリフだと思う。
恥ずかしながら僕も言っていた。(余談だけどなんで子供って「俺」のイントネーションが「お↑れ↓」なんだろうか)
だが実際、何人の子供たちがポケモンを「卒業」しただろう。少なくとも僕はしなかった。もちろん、ゲームから離れたりテレビアニメ版を観なくなったりはしたが、ポケモン映画だけは毎年欠かさず見続けていた。単に子供向け映画だったら、途中でやめていたと思う。でも、ポケモン映画は子供だましではない。大人が見ても十分に楽しめる映画なのだ。
おススメポイントが盛りだくさんなので絞るのが大変なのだが、なんだかんだと聞かれたら答えてあげるが世の情けだとロケット団も言っていたので拙いながら紹介しようと思う。
まず押さえておきたい、3つの凄いトコ。
まず大前提として押さえておきたいのは、ストーリーが良いということ。
主人公のサトシが、旅をした先で幻のポケモンと出会い、触れ合ううちに次第に強い信頼で結ばれ、襲い掛かってくる試練をともに乗り越える。シンプルだが力強い、王道のストーリー。はじめは警戒していたポケモンが心を開く瞬間は、どの映画でもジーンとくる。
さらにキャラクターもいい。メインとなるポケモンはみな、人間以上に様々な葛藤を抱えているし、彼らを取り巻く人間たちも、かっこいい、かわいいキャラから、根っからの悪党やお調子者など、個性豊かなキャラクターでいっぱいだ。普段、ピカチュウを狙う悪役であるロケット団がピンチに際してサトシ達と共闘するのもアツい。
そしてポケモン映画の―いや、ポケモンの一番の魅力とは何かと言えば、「ポケモンと共に旅をする事」であろう。ポケモン映画は、「冒険」の楽しさが目いっぱい詰まっている。その最大の要因は「背景がとにかく美しい」ということである。大自然や壮大な遺跡が舞台になっていることが多く、実際にロケ地を隅々まで取材されているため、隅々まで本当に美しい。こういう場所を、相棒のポケモンや仲間たちと旅をする。それだけでも冒険心がくすぐられるのだ。俺、ポケモントレーナーになる……!
「これが一番観たい!」まである秀逸なエンディング
さあ、ようやく僕が一番好きな場面のことを話す時が来た。ポケモンの映画は素晴らしい。そして、そんな本編を観た後に流れるエンディング、これがとにかく良い。僕は、よほど好きな作品でないと一つの作品を複数回みたりしないのだが、ポケモン映画はその数少ない作品のうちの一つである。それも、主な目的はこのエンディングを観るためである。
ポケモンのエンディング曲は数々の有名歌手が担当する。例えば「いきものがかり」とか「スキマスイッチ」とか「安室奈美恵」とか「小林幸子」とか。
勿論曲も素晴らしいのだが、何が一番好きって、曲に合わせて流れる映像である。
映画に出てきたポケモンや人々のその後が描かれるのだが、映画の余韻を最高潮に高めてくれる。
怖がりだったけれど、サトシと出会ってちょっと勇気を持てた子供やポケモンの姿だったり、はじめは人間嫌いだったポケモンが、劇中で起きた災害を人間と協力して復興している姿だったり、災害を引き起こした敵役のその後が描かれたりする。時には過去作品のキャラクターが出てきたりもして、とにかく見どころが満載なのだ。
個人的には、2014年「破壊の繭とディアンシー」のEDが最高に好き。
怖がりだったディアンシーがしっかり群れのリーダーをやっている所もジーンとくるが、劇中で敵役を務めた賞金稼ぎ達がそれぞれ改心してお菓子の店を開いていたり、商売敵と恋に落ちて求婚していたりするのが楽しい。サトシとディアンシーが深い絆を結んだからこそ、EDの歌詞も感動させられる。ぜひ曲だけでも聞いてみてほしいし、もちろん本編もいいので、ぜひ。
サトシとピカチュウだけ知っておけばOK
ポケモン映画の良い所はそれだけではない。ポケモンは、アニメ版を見てなくても大体わかる、これが大きなメリットなのだ。
アニメやドラマなどの劇場版の映画には一つ越えなければならないハードルがある。
「通常放送見てないとわからないのでは?」
という不安だ。
例えば、鬼滅の刃である。老若男女問わず大人気で、観てなくても「水の呼吸」とか「一の型」とかは聞いたことがあるだろう。僕もそうだ。
劇場版も興行成績の記録を打ち立てるくらい良作で、特に「煉獄さん泣ける」らしいのだが、通常放送未視聴だと話や人物が分からないので映画は楽しみづらい。煉獄さんを知らないし、そもそも鬼殺隊とは何ぞや、となるだろう。
プリキュアの場合は1年ごとにキャラも設定も変わる。大体1シリーズにつきプリキュアは4,5人くらいいる。
初代のタイトルは「ふたりはプリキュア」なのに、いつのまにか「ごにんもプリキュア」である。
それぞれの関係性はやはりテレビ版を見ていないとわかりづらい。
名探偵コナンはどうだろう。基本的には、「俺の名前は工藤新一、高校生探偵だ。ある日、黒ずくめの男達によって薬を飲まされ、目覚めたら子供(コナン君)になっていた!」という前提と、周りの人間にばれちゃいけないという事さえ押さえておけば、後は事件が起きて解決するだけだ。
コナンの映画もたいてい、大事件が起きる→なんやかんやあって火の海で蘭姉ちゃんピンチ→コナン君「らーーーーーん!」→蘭「新一……?(気絶)」で説明がつく。なのでハードルは低かったのだが最近は本編でFBIとかCIAとか公安とか色んな組織が絡んできているらしく、どのキャラがどの組織なのか僕にはもうわからない。
だがポケモンは安心である。
主人公のサトシと相棒のピカチュウだけを押さえておけばいい。数年に一度、ゲームの新作に合わせて手持ちポケモンと、仲間のトレーナーが入れ替わるが、20年間ずっとメインはサトシとピカチュウ、そしてムサシ、コジロウ、ニャースのロケット団である。
しかもここ数年、本編のテイストが若干変わったせいもあって、映画はテレビ版と全く関係ないアナザーストーリーとなっており、マジでサトシとピカチュウ、ロケット団、そしてゲストキャラクターしか出てこないのだ。予習なんて一切しなくていい。
近年のイチオシは2018年の「ポケットモンスター みんなの物語」だ。ストーリーもいいが、キャラクターの良さが群を抜いている気がする。シナリオ担当が長月達平(リゼロの作者)だけど鬱展開とかは一切ないのでご安心を。だいじょうぶ、ポケモンのえいがだよ。
ポケモンは時を超え、あのころと今の僕らをつなぐ。
時を越え、世代をつなぐ。それがポケットモンスターだ。初代のポケモン赤緑が発売されたのは1996年、実に25年も前の事である。
当時小学生だった(年がバレる)僕もずいぶん熱中した。出現ポケモンが違う、赤と緑の2バージョン同時発売というのは珍しかった。僕はリザードンがカッコ良くて赤を選んだので、すべてのポケモンをコンプリートするには緑も買うか、友達と交換するしかなかった。当時はインターネットもほとんど普及しておらず、Wi-Fiなんて存在すらしていなかった。なので、携帯ゲーム機(ゲームボーイ。乾電池で動く)同士を通信ケーブルでつないで対戦したり交換したりする。その待ち時間のワクワクすることと言ったらたまらない。
そんな風にポケモンを愛した僕である。映画が公開されると聞いて胸躍らないはずがなかった。
子供時代の僕を興奮させてくれたサトシとピカチュウの冒険はまったく古臭くなることなく、今も続いている。まるでそのころの僕らに「また一緒に冒険に出ようぜ」と言っているみたいに。
同じように、大人になってもポケモンを愛するかつての子供たちはたくさんいる。
ひょっとしたら彼らには、当時の自分たちと同じくらいの子供だっているかもしれない。
世代を超えて、同じサトシとピカチュウの物語を見ている。しかも、古いビデオや再放送という形ではなく、今もなお進化し続ける、リアルタイムの作品として、である。
これって、凄い事だと思うのだ。
「はじめはサトシとピカチュウは喧嘩ばかりしてたんだよ」「ピカチュウは自分の意志で進化しないことを選んだんだ」なんて会話だってできる。恋人もいない僕には想像しかできないが、それでもなんか無性にワクワクしてくる。
そしておそらく、制作側もそれを意図している。
例えば、「ミュウツーの逆襲」という作品がある。
記念すべき劇場版第一作。自分と同じようなクローンポケモンを率いて、悪しき目的のために自分を生み出した人間に復讐しようとするミュウツーと、それを止めようとする主人公サトシ。物語の最後で、戦いを止めようとして傷付き倒れたサトシを前に涙するピカチュウの姿が、多くの人の感動を呼んだ。作品単体で見てももちろん名作だ。
それからちょうど20年後の2019年放映されたのが「ミュウツーの逆襲 EVOLUTION」である。98年バージョンと違ってフルCGになっていて、一部のキャラクターの声優が変わっているが、サトシもピカチュウもロケット団もミュウツーも同じ声優が務めているし、ストーリーはセリフから動きに至るまでほとんど完全一致しているのだ。
今の子供と、大人になった僕らの中にいる「あの頃の僕ら」が同じものを観て、興奮したり感動したりする。そしてそれをわかちあうことができる。
ポケットモンスター、それはまさに世代をつなぐ作品といえるだろう。