コラム

鳥と人間家族の生い立ち

自分は小学4年生の頃、学校で野鳥クラブに一年程所属をしていた。そのクラブ活動にて晴天の日は学校近くの多摩川べりに望遠鏡を持ちバードウォッチングに行っては野鳥観察をしていた。今現在でも四十数年に渡り色んな鳥を飼ってきている。成人年齢を既に過ぎてから十年以上は一昔を越えていても、今でも子供時期や未成年期に青年期だった若者時期等を遡ってばかりいる。家で休日に暇な時の半日程は、小鳥と遊ぶ事に時間をさいては自分が子供の頃に飼っていた鳥達と同じようにして当時を振り返っている。

その一時の間、自分が子供の頃と同じような情景が甦っては今にいる大人の自分としての現実社会を逃避している。自身が子供だった遠い昔の事など、今更に振り返っても何も仕方がないかもしれない。鳥と触れ合っている時は、時間の流れが一時一時と他の事をしている時に比べゆっくりと流れているように思えてくる。その感覚が子供の頃での自分を思い出させては、過去の歳若い自分に遡るように再び子供でいた時期へと戻っていくかのような気持ちになる。幼少期に少年期でいた頃の自分、それから後の成人となった現在より若者であった時期など広く全般に若い自分が思い描かれる。

大人でいる今となって、まだ自身が育ち盛りの時期や成長期の真っ只中な子供時期では一時一時と流れゆく時間が現在よりもスローペースにゆっくりと過ぎている気がしていた。それが大人になった今でも、鳥と遊んでいる時は自身が子供の頃と何も変わらないような心境へと再び遡れる。今までに様々な種類の鳥を長期に渡り飼育をしては、セキセイインコ、文鳥、カナリア、十姉妹、メジロ、沖縄島鳥、紅雀、ソウシチョウなど。

大人の歳でいる今現在においても、ふと思い帰れば少年の頃と変わっていないかのような心境に遡る。本当に幸せと思える時はどういう時であろうか。鳥も人間も生き物であるには種類は違っても同じ地球上に存在をしている動物である。自分が過去の子供の頃や青年でいた頃に、何かを失ってきたもの、その頃に身近にあった幸せな物事に気が付かずに蔑ろなままで過ぎてしまったもの。

人が生きている間は、およそ二万五千日分しかなく一日の終盤になるにつれ二万五千五百五十分一は生涯を過ぎてしまう。小さな小鳥達の平均寿命は人間よりも更に半分も満たない程にも短い生涯ともなる。何かを失くしても後悔しないものと、失くしてみてから何かしらの愛おしさに気が付くもの。鳥のテーマだけに限らずに、まだ自らが幼少期から腕白盛りの頃には甘く優しかった親達も自分が大きく成長するに伴い口煩くも厳しくなり、今現在に至り半ば高齢となっては自身が子供時期での遠い昔の頃の、今よりも遙かに若かった頃の両親を想い返す。今頃となって、遠い過去を振り返っても仕方がないかもしれないが、先の事ばかりを考えるよりも主に今現在にいる時期を、そして時に遠い昔を遡る事も全く無意味ではなく思う。

人間も鳥達も昆虫類に他の生き物達も、それぞれに生き方は違っても愛おしさだけでは生涯を渡れない。主に野鳥達の自然界では、ある程度の時期となれば親鳥は無理やりにでも子を突き放すようである。過去は振り返るものではないと、格好つけて言葉を吐いてしまいたくなる事もある。それでも、忘れてしまっていいものと、忘れてはならないもの。何事においてでも愛おしさだけでは、世の中をやってなどしていられないのは当然のこと。鳥のテーマからは少しだけ内容が掛け離れても、全く外れている訳でもない。

大事にしなければならないものがあれば、逆に見切ってしまったほうが楽になるもの。振り返る事は楽な事であると、そう目上の者から過去に喧しくも問われた事があっても自身としては、その発言が一概に正しいとは思い難い。振り返ってもいい、馬鹿みたいな人柄や生き方が自らの人生を役立ている。幼い頃から甘えん坊な子供だった自分自身、甘ちゃんみたく我儘をしていられるのも子供のうちだけだよと父親からは優しく可愛がられるように養育をされていた時期は遠い昔の話。けれども、ふと思えば遠い昔の事で済んだ訳ではなく今現在でも自身は何度でも子供の頃に遡れるようにも思えている。

見えないような先の夢など抱かなくていいと、鳥と触れ合っている時には正に今を生きてる時が最も大事な時期である事を強いて実感させられる。先の将来における夢や希望が全く何もなく、過去の思い出を振り返ってばかりいる自分、最も重要な今現在にある物事には逃避をせずに何とか生きている。今の現状における御時世を思えば、国の世の中は次第に発展途上国化な日本へと近ずきつつもある。足搔きたくても足搔きようがない程に、コロナウイルスは活動を進行したままで見納めする気配などは一向に見なさず。

話題は戻り、子供時期でいた頃のように流れゆく時がゆっくりであれば、これから自身が年配者と老けてゆくのではなく再び子供へと若返っていければとも思っている。大人社会人としての自信が持てないような自分は、ある程度の現実逃避やシャットアウトをしながらでなければ生きていられない程でもある。今より若者でいた青年期の真只中時期には、酷くふざけ過ぎる程に世の中を甘くみてきてしまった為、若者時期が過ぎた今となっては自身よりも若い未成年者や子供達を何となく怖れてしまう。常に人間社会は複雑に難しく、時に社会的抹殺というような世間的に誰かが干された事なども習慣雑誌等や又ネットトピックスなどで目の当たりにする事がある。人生は楽しいものだと思いたくても、そうは思い通りにならなくて当たり前で嫌な事や気に召さない事、また辛い事に儚さや切なさばかりが多くあるようにも思いがちになる。そんな時でも鳥と遊んでいる時は、現実社会を何処かに遠ざけるかのような気分となり遠い過去での少年だった頃の自分へと再び心境を遡らさせてくれる。

今を生きている時が最も大事な時期なのだと、過去の子供時期や青年期を振り返りながらに何とか今現在に至っている自分自身小学生の頃にバードウォッチングに度々行っていた東京大田区と神奈川県川崎市との県境に流れる丸子多摩川近くの大田区側に、様々な野鳥の見られる丘の森林地域があり今現在も野鳥観察をしに頻繫に足を運んでいる。また別の場所にも、世田谷区用賀のほうの敷地が広い砧緑地公園や川崎市内の等々力緑地公園などにも野鳥観察をしに時々は訪れている。それら数ヶ所のエリアスポットは自分が子供の頃に、父親と一緒に日曜日での晴天の日に幾度と足を運んでいた長期の穴場テリトリーともなっている。

まだ自らが幼少期から小、中、高に渡る未成年期でいた頃では、父親は家族の中で最も大きく頼りがいのある存在性で母親や兄弟姉妹よりも自身の学校成績の事や友達関係などの悩み等を打ち明けられる程の誰よりも信頼のおけるような大きな存在であった。子供の頃は父親っ子でいた自分、今現在では当時のような状況とは全く違う心境でもあり家で顔を合わせる事を自分から遠ざけている。鳥の内容とは違っても、大人の歳になっても自立心が持てず親離れが出来ない自身は、これから先の現実などは考えたくもなくペットの鳥達に自分が遊んでもらっているようなものであり、君は子供の頃のままでいてもいいのだと鳥達から励まされている。自身が物心を付き始めてから何歳かの時期に、人間として生まれてくる事は何万分の一位程の少ない確率で生まれてくるのだと、父親から幾度か言われた事を今も想い出す。最も家族の中において世話の掛かるような子供でいた自身として、再び子供へと返っては過保護教育を受けずに一人前な出来の良い子供として生涯を出直したい気持ちを抱いている。子供の頃に母親から度々ほんの些細な事で叱りを受ける事は多くあったが、ほんの些細な事で父親から叱りを受ける事は少ないほうであった。しかし、本当に叱られた時に恐いと感じられるのは母親ではなく父親であった。今現在に至って半ば高齢期ともなる父母、再び自身も含め両親達も皆が遠い昔に若返っていけるならば。幼い頃から長期に渡って鳥を飼育し続けては、遠い過去の記憶を追想するように振り返ってばかりいる。

自分が大人になるのは遠い先の事だと、そう思っていた子供の頃が気付けば遠い昔の頃の思い出時期となってしまっている。常に時代や歴史は、世の中の日進月歩により次々と新たに変わりゆくあるもの。時代の最先端をはしる最新式なものと、流行から遅れているかのような旧式なもの。目新しいものに感心を持つ事は間違いではなくても、従来と変わらない形式である事も間違いではない。人生は二度と若い時に戻れる事はなく、身体は老いてゆく一方となる。そう考えたら先の現実を尚更に逃避したい気持ちになり、過去の自身や両親も若かった頃へと時を巻き戻しては、再び同じ自分自身として、又、同じ家族構成に同じ育ち環境で生涯を出直してみたい。一度きりな人生だと言っても、この世の世界だけでの遺言であるゆえ現世を他界すれば、また違う未知の世界となるかもしれない。

それは再び過去の幼い頃での自身へと返り、親達も若返り、種類様々な小鳥達と共に生涯をリセットするよう再び新たに出直すこと。如何にも幻想的な寝ている間に見ている夢の中の更に夢の妄想のようであるかもしれない。これから先の現実における物事だけを考えたら、全く何もかもが遣り切れない思いでしかなくなってしまう。ただ先へ先へと未来に進むだけが人生全てではなく、ふと何かに思いとどまりたい時は立ち止まっていい。迷ってもいい、過去に遡ってもいい、再びリバイバルをしながらに新たな未知の生涯を思い描く。自然の樹木や植物は枯れても再び何度でも生まれ変われるような、今までに過ごしてきた過去の生涯をそのまま巻き戻してもいい。

新しいものは次第に時の経過によって古くもなり、古いものが新しい姿形でリニューアル化するもの。出来る事であれば再び今までの過去に過ぎてきた生涯に時を戻し、その時の中で自身が今までとは違うような成り行き形態で出直すこと。今までと同じ形態の物事に同じ環境の時期もあれば、どこかは今までと違う形態の物事に違う境遇環境の時期がある過去の生涯として再びリバイバルするよう出直したい。長期に渡り色んな鳥達と共存をしている中で、ふと思えば一つ屋根の下で長期もの間に至って様々な鳥や同じ種類の鳥との生存を共にリバイバルし続けている事に気が付く。ふと思えば、時は過ぎていても何かは変わらないままに再びリターンをするかのように戻りたい時期や再会したい人や物事は、再び巡って来るように思える。誰でも子供のままではいれないのが現実であっても、現実だけに気を囚われなくてもいい。

時の経過により周囲の状況などは変わっても、過去の子供の頃や過去の若い時期を振り返りながらに常に新たな発見に新たな自身における物事を想像する。全てが古い過去の出来事や古い過去の物事ばかりに遡るのではなく、振り返りたくはないような時期に思い出したくない過去の出来事などは破棄するよう消し去ってしまっていい。今現在に生きている時が最も重要で、これから先の未来の事は深く気にかけても仕方がなくも思えている。古いままのものや、古い方式、古い形式などに定まっているだけが決して一概に正しい訳ではない気もする。新しい未来の事は深く考えず、古い物事だけに定着はしない。これから再び新しい過去の生涯へとリバイバルスリップする事を常に抱きながら、現実だけに気を囚われず鳥達と共に新たな若き頃での生涯の再スタートを思い描く。過ぎた昔は良かったなどと、今現在にいる時を無関心無感動なまま蔑ろに過ごしてしまわず今にいる時期にどう生きるべきかを最も重要に思う。

誰でも人は以前の時に返って、そこから再び出直したいと思う事があっても不思議な訳ではない。実際の現実には、二度と過去の子供時期や過去の青年期には戻れないとしても、時代背景におけるスタイル等の流行り廃りが周期的に繰り返される事と同じく子供っぽく戻る事や青年らしくいる事は変わらないままでいてもいい。新しいものに対して直ぐには関心を抱けなくても、酷く古臭くダサ過ぎるようになってはならないと常に自身を抱いている。現代は鳥よりも犬猫がペットとして若い夫婦の間で流行ともなっている中で、鳥類は既に舌平目となってしまっている。幼い頃から犬猫には興味が持てず、鳥や昆虫のほうに興味を持っていた自分。ペットとしての流行りは去っていても、生きている鳥や昆虫において流行り廃りなどは何も関係がなくも思えている。全ての物事に対して流行り廃りを気にする事はなく、身近な暮らしに必要なスマートフォンやオーディオ系のラジカセデッキ(ステレオコンポ)に電気カミソリ、イヤホン機種(携帯ラジオ)などは古いままのものを使い続けたりはしない。

自分自身が如何にみすぼらしく不憫なようでも、ゴミ屋敷のような荒れた住処にいる程にまで人生投げやりになってはならないと常に社会の目を気にしている。この世に生存をしてるからには、常日頃から人の振り見て我が振り直せを心掛ける事がとても重要に思えている。家の御手洗いに浴室や洗面所等は常に汚れたままにせず数日おきには洗浄をする。飼育している鳥篭も毎日のように掃除をし、餌や飲水も新鮮なものとして綺麗に取り換える事を欠かさない。自ら小奇麗好きな訳ではなく、わりと面倒臭がりで整理整頓のほうはキッチリとせずに後回しにしがちであるが汚れや老朽化などは多少なりにも気にするほうで生活環境等においては何かと気に留める質でもある。古く汚れたガスコンロなどは使える状態であっても使用を続けたりはしない。身近な暮らしに必要である家電製の電子レンジやアダプターコード等においても同様に古く汚れ切ったものは使用を控えるよう気を付けている。鳥も人間も日々暮らしている環境によっては心境にも大きく影響があり、陽当たりや風通しの良くない部屋や、ゴミ等にチリやホコリだらけの部屋に居住しているだけで精神が淀んでしまうもの。自身は親達の住む実家で共同に暮らしている時もあれば、別宅として一人暮らし用のワンルームアパートにも部屋を借りている。

人間も鳥も汚れた環境の中では、精神面においても気分が湿気るようにショボクレてしまうもの。風通しが悪いようなカビだらけの部屋に住んでいると、精神にもカビが生えるみたく腐ってしまう。人間も鳥も生涯を投げやりになっては人生直ぐに終わってしまうもの。自らの生涯など既に終わっていると投げやりに人生諦めてしまう前に、若き過去の初心の頃へと遡り、或は童心に振り返って思い見つめ直す事が必要な気もしている。酷く汚れていても使い直せそうな物は洗浄して再リセットするなり、そんなに大事ではない襤褸切れのような消耗品などは処分をする。下手に自分を変えようとするのではなく、汚れたままの環境にいてはいけないと自ら築くこと。人間には良心があれば、悪心との半々な位にバランスが上手に保たれている。

題目では鳥がテーマとなってはいても、自らの生い立ちに今現在における暮らし環境等も主題になっている為、生涯を一昔、二昔以上前の時期のように再びリバイバルする事やリセットする事を主に強調したい意味を述べている。どんなに落ちぶれ果てそうな心境に陥っても、人生を投げやりに諦めてはならない。

eyami49

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初めまして、イヤミと申します。アニメキャラクターおそ松くんに登場するイヤミの人柄を自身のチョイ意地悪そうな性格と共通性を思いハンドル名にしました。


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