生きる事は不安のほうが多く、何かに期待感を抱ける物や楽しみなどは数少なく有るか無いかの程にも期待するような事や楽しみは僅かな間にして過ぎ去ってしまうもの。誰でも過去や未来を生きる訳ではなく、今現在にいる時を何とかしながらにして生きている。正に当たり前なようでも、過去があるから現在があり、そして現在から先の未来に続いている。過去は振り返りつつも、先が見えない未来においては希望や期待を寄せたりはしない。例え不安ばかりが多くても、決してマイナス思考な暗示を抱いてはならない。
新たな明日は待たなくても必然に来るものであり、その明日に何が起こりうるかなどは前々から予測はできず、もしかすると大地震のような天災が起きるかもしれない。もしくは、この世の終わりとなるかもしれない。明日の夢など前もって期待に胸を膨らませなくていい。明日は明日の風が吹くのだから。ノストラダムスの大予言やゲノムの予言など特別に関心を持つ訳ではなく、これから先の事に下手な期待や希望を寄せても案外に思うようには物事が進まず期待外れで終わってしまうケースはありがちなもの。逆に不安や怖さを抱くものが、思っていた程は心配する程でもなく無駄な取越し苦労な場合もよくあるもの。生きていれば多少の不安な気持ちは持っていて誰も当然のこと。
今のままでの現状が良いのか悪いのかとは、あまり深刻には考えず今は今の現状で足掻きようがないのだと今の現状を受け入れて今を生きるしかない。何とかなる、どうにかなる、不真面目でも、
社会の落ちこぼれでも、今この時を常に実感しながらに生きなければ。下手に張り切ったりせずに、怠けながらでいい、ふざけながらでいい、頑張らなくていい。親達からは先の将来について色々と不安だけを押し迫られても、そんなに慌てる事はない。口喧しい大人達からの規制や道徳心を押し付けられても、聞かずふりをするなどして上手に避けてもいい。お遊び半分位な気持ちがなければ、人生などやってはいられないもの。常に体のネジが緩んでいるかのように、又、わざとネジが外れぱなしでいるように見せかける。普通に真面目なだけが人生全てではなく、現代流行な人気女子アイドルのような恰好をしてみたり、又はメイド喫茶ギャルのようなコスプレをして成り切ったりする遊びなど、時に普段からは外れて人格を疑われてでも御馬鹿になるのも生き甲斐の一つになる。ショボクレ果てた中年男のままでありたくはなくも思う。