11月1日は虻川将司と森本ナナ子の面会日だった。
ナナ子の母は、娘に会いにやってきた。
「お前は娘にどういう教育をしてきたんだ」
虻川は怒った。
「お前の娘は化け物だ」
「犯罪者のくせに、だらしがない」
ナナ子の母は冷徹な態度を崩さずに言った。
「娘はあなたを愛している。その愛が実るのはここしかない。それなら親として恋を応援するまでです」
ナナ子は母親と二言三言、現状について楽し気に話した後は、例の笑みを浮かべてうわごとのように呟いていた。
「虻川様のお髭を沿ってあげたい。虻川様の背中を流してあげたい。虻川様の下着を洗ってあげたい……」
「ナナ子も大人になったのね」
刑務所を後にしてナナ子の母は呟いた。
「私も若い頃、あの子のように燃えるような恋をしたっけ……」
昔のことを思い出しかけた時だった。
「キャーッ、助けてーっ!」
「本物のお化けだーっ!」
近くで人々が何やら悲鳴を上げていた。
「お化けですって?」
騒ぎの方を見ると、そこには確かに全身を紙袋や空き缶で固めたゴミの塊のようなお化けがいた。
「ハロウィンパーティーだからと浮かれやがって。よくもこの紙袋を路上に捨てたな。よくもこの空き缶を店の前に捨てたな。マナーの悪い人間どもめ、呪い潰してやる……」
お化けの正体は、無造作に捨てられたハロウィンパーティーのゴミが恨みの意思で結集したもののようである。
お化けとナナ子の母の目が合った。
「お前も昨日のハロウィンパーティーで道端にゴミを捨てたな?呪ってやる……」
不気味なお化けに迫られても、ナナ子の母は動じない。
「お待ちなさい。私は昨日1日、家で読書をしていました。この年になって、ハロウィンなど関係ありません」
「ハロウィンを楽しむ奴に年齢は関係ない」
「でも私は若い頃にとっくにハロウィンを卒業したのです。家で読書をしていて、外にゴミを捨てることはありません。他をあたりなさい」
「ううむ……その平然とした態度、嘘をついてはいなさそうだ……昨日マナー違反をしなかった奴を襲っても仕方ない。他を当たるか……」
お化けがくるりと背を向けた瞬間、ナナ子の母はあの日のことを思い出した。
「そういえば……」
「何だ?」
「ハロウィンというと……」
ナナ子の母も若い頃はハロウィンを目一杯楽しんでいた。
「トリック・オア・トリート!」
周りと同じ決まり文句を言いながらも、
「素敵な方と巡り合えますように」
体中に短冊をぶらさげて歩いていた。
無学なナナ子の母はハロウィンと七夕の違いが分からなかったのである。
しかし肝心の織姫も日付を気にしない、いい加減な性格だった。
ナナ子の母の目の前に違法駐車の車に楽しく悪質な落書きをしている若い男の姿があった。
男は落書きを終えると、空き缶やゴミ袋を道端に捨て始めた。
その豪快な捨て方に、
「素敵なお方……」
ナナ子の母は望み通りの恋をした。
「あの方のお髭を沿ってあげたい。あの方の背中を流してあげたい。あの方の下着を洗いたい……」
その男こそ、今の彼女の夫である。
「何だと!?」
「若気の至りです」
ナナ子の母は照れ笑いした。
「若気の至りで済んだら警察はいらない」
お化けは怒った。
「ハロウィンで道端にゴミを捨てた奴に惚れ、結婚するとは何て女だ……許せん。呪い潰してやる!」
「おだまりなさい!」
今度はナナ子の母が怒る番だった。
「他人の迷惑を考えず無造作に捨てられたあなた方の怒りはその身になって考えれば分かります。しかし、それを完全なる悪行としか割り切れない視野の狭さよ!この世には、ハロウィンで道端にゴミを捨てる者がいたことで幸せになった人間もいるのです」
「ハロウィンで道端にゴミを捨てる者がいたことで幸せになった人間……」
「そう。私はあの人と出会い、今の幸せを掴みました。そして私たちの間に生まれた娘も、世間の基準はどうあれ愛する人と2人で幸せな毎日を過ごしています。私はあの日、夫に捨てられた空き缶に感謝したい。ゴミ袋にお礼を言いたい!」
「……」
「世間の基準の善悪など、下らないものです。あなた方が無造作に捨てられた事によってどこかの誰かが幸せになっているかもしれません。そうであればあなた方はその誰かにとってれっきとしたヒーローです。もっと自分の存在に自信を持ちなさい」
「自分の存在に自信……か」
「そうです。この世に正義も悪もないのです。誰かにとっての悪も、誰かにとっては正義。誰も悪と断言することはできません」
「そうかもしれない……」
お化けが納得しかけた時だった。
「怒れるハロウィンパーティーのゴミ達よ、口の上手い女に騙されるな!」
5人の男女が現れた。
「確かにハロウィンのゴミで幸せになった変わり者もいるかもしれない。しかし、ハロウィンのゴミのせいで不幸になった人間の方が100倍多いのだ!」
「僕は今日、昨日のハロウィンパーティーのゴミの後始末をしていたら腰を捻った。全治3ケ月だ!」
「私は店長に何でこんなに店の前にゴミが多いんだと怒られ、殴られました。私のせいじゃないのに理不尽です!」
「俺も同じように怒られ、反論したら喧嘩になり職を失った。ゴミさえなければ!」
「おいらの明るかった人生も、昨日のゴミのせいで……うわーん!」
彼らの悲しむ姿を見て、再びお化けの怒りに火が付いた。
「怒れるハロウィンパーティーのゴミ達よ、悪行を擁護するそんな女、やってしまえ!」
「やってやるーっ」
お化けはナナ子の母に襲いかかった。
「ぎゃあああああ」
ナナ子の母はさながらハロウィンの仮装のようなボロボロの身なりでフラフラと我が家へ向かった。
「私は……正しい……」
散々な目に遭ったが、ナナ子の母の信念はブレなかった。
「ハロウィンのゴミで不幸になった人間?知ったことか……私が幸せならそれでいいんだ……」
彼女の夫は、自宅で昼間から酒とタバコに明け暮れていた。
「どうして俺はこんなに性格が悪いのだろう。恵まれなかった家庭環境のせいか?貧乏のせいか?考えても分からない。分からないことは、本を読んで調べよう」
様々な本を読んで調べたが、
「やっぱり分からない」
答えは得られなかった。
夫は缶の酒を飲み干すと、開け放たれた窓の外へ空き缶を放り投げた。
「性格は諦めよう」
「私の幸せこそが……絶対正義だ……」
ナナ子の母が荒い息で呟きながら我が家へ辿り着いた時、
「!」
頭部に2階から投げ捨てられた空き缶が直撃した。
失神へ向かい崩れ落ちる意識の中、彼女は叫んだ。
「ポイ捨てはやめましょう!」