僕の趣味の一つが読書なのだが、時々すごい本に出合う事がある。
本が扱うテーマについて全く知らないのに、夢中になってしまうのだ。
「こんな世界があるのか……!」「そんなところまで感じられるなんて凄い……!」そんな驚きが心地よくて、ページを繰る手がとまらない。
最近読んだ「小澤征爾さんと、音楽について話をする」はまさにそんな本だった。
「良き音楽」は愛と同じように、いくらたくさんあっても、多すぎるということはない――。グレン・グールド、バーンスタイン、カラヤンなど小澤征爾が巨匠たちと過ごした歳月、ベートーヴェン、ブラームス、マーラーの音楽……。マエストロと小説家はともにレコードを聴き、深い共感の中で、対話を続けた。心の響きと創造の魂に触れる、一年間にわたったロング・インタビュー。
小澤征爾、村上春樹 『小澤征爾さんと、音楽について話をする』 | 新潮社.
https://www.shinchosha.co.jp/book/100166/,(参照 2021-08-04)
凄い人が凄い人について語る
まず何が凄いかって小澤征爾という人物そのものだ。
マエストロと称されるほどの世界的な名指揮者である。
何せ、クラシック界の頂点ともいえるボストンフィルやウィーンフィルといったオーケストラの指揮をとり、ウィーンでは音楽監督を務めたりするくらいだ。映画の世界でいえばハリウッドでアカデミー賞作品を連発する映画監督みたいなものである。
そんな彼が音楽について、自身の体験談をたっぷり交えて語るのだ。面白くないわけがない。
小澤自身は勿論、彼が関わってきた音楽家たちも、まさにクラシック音楽の世界の頂点と言っていい。バーンスタインやグールドなどは僕でも聞いたことがあるレベルだ。(深夜にやってるクラシックCDの通販CMとかで良く名前を観るし)
小澤が師事したカラヤンに至ってはもはや歴史の教科書にのるような人物と言っても過言ではない。次から次へと出てくる綺羅星のようなエピソードに単純に胸が躍りっぱなしだった。
えげつないレベルの高さ
断っておくと、僕には音楽の知識がほとんどない。
演奏できる楽器は小学生の時に授業でやったリコーダーくらいで、ふさぐ穴の位置を覚えるのも苦労したし、不器用なので楽譜通りの音を出すのに四苦八苦していた。その楽譜だってドレミが読めない。
どの音がドの音なのかが分からないのだ。
音楽は楽譜通りであればよいと思っていたし、一定以上のレベルを超えたら技量の差などわからなかった。
そんな僕からしたら、この本で語られているのは想像もできないくらい高度な話である。
前述の通り小澤は世界的な指揮者である。そして村上春樹は作家としてももちろん超有名だが、彼は大の音楽愛好家で、ジャズやクラシックを好むあまり、大学を中退してジャズ喫茶を始めたという経歴を持っている。二人とも、音楽に関して極めて繊細な感性を持っているのだ。
そんな二人の対談を読んでいると、「なんでそんなところまで感じ取れるの!?」と言いたくなるような言葉が何度も出てくる。
ピアノの「タッチが明晰で、きっぱりしていて主張がある」とか、リテイク前は「かなり勢いよく鮮やかに前面に出てくるホルン」が、「生々しすぎる」ので、リテイク後には「後ろに引っ込んで音の色合いが鈍くなる」なんかはちょっと何言ってるかわからないし、マーラーという作曲家について語る時には最早、音がいいとか悪いとかそういう次元すら超えている。
マーラーの音楽に対して村上と小澤が抱いている認識がこれ。
「深層意識がかなり大きい意味を持っている(中略)矛盾するもの、対抗するもの、交じり合わないもの、峻別できないもの、そういういくつものモチーフが夢を見ている時のようにほとんど見境なく絡まりあっている」
僕は前々から、文章や絵画、音楽のような芸術作品から色々なものをくみ取れる人の事を凄いな、と感じるのだが、この一文はまさにそれである。一流は一流を知る。その感受性にただただ感心するばかりだった。
わからないのにわかりやすい
この本は全編通してこういうレベルで会話が交わされていく。いちいち素人でもわかりやすく懇切丁寧に解説してくれたりはしない。音楽の入門書ではないのだ。ただ、超一流の音楽家と作家がよくわからないけれどすげえ話をしているだけなのである。
「〇〇というオーケストラは楽器がしゃべりすぎる」とか「〇〇の演奏を見るとベートーヴェンの築き上げたスタイルを壊すことを試みているのがわかる」とか。凡人にはくみ取れないレベルの話をしている。
でも、それがいい。本当に超一流の話というのは、全然わからなくても面白いのだ。そこには激しい熱量や深い思索、達人にしか見られない景色がある。
そんな領域の話なのに、小澤征爾や村上春樹自身が「権威」的なものをあまり好まないからか、とても読みやすい対談になっている。それもこの本の凄いところだ。
著名な文化人同士の対談だと、今の業界や他者への批評など、どこか「偉そう」な雰囲気がある。時には「わかってる人の上から目線」を感じる本だってある。そういう本はどんなに面白くても、読んでいて気持ちがどこかざわざわする。
だがこの本からは、そういう「臭み」がほとんど感じられなかった。少なくとも僕は引っ掛かりなく読めた。
音楽が好きな二人が無邪気に、けれど真剣に語り合っている。だから知識が無くても全く問題なく楽しめるし、音楽に興味を持てる。一端に音楽をかじった気にさえなれる。
大いに知的興奮を味わえる一冊と言って良いだろう。
やっぱり村上春樹もすごいんだな、という話
個人的に、村上春樹は知的好奇心を満たすのにうってつけの作家だと思っている。
彼の作品のテイストや考え方は好き嫌いが分かれるかもしれないが、文章力に関してはやはり卓越しているな、と思う。
読者が見た事のない物事や、うまく言葉にできない事を文章にして伝えるのが本当に巧みだし、読みやすい。読んでいて心地いいから、めったに「作家買い」はしない僕でも、彼の本は良く手に取ってしまう。
村上春樹は「優れた文章を書くには、音楽のセンスが必須」だと言っている。
優れた音楽を聴き続けてきた彼が携わったからこそ、ここまでわかりやすく、読みやすい本になったのかもしれない。