最近無になりたいとき
私は 暗殺教室 を見ている
一回ちゃんと第一話から最後まで見てみようと思って
見ている
その中で私はまたもや暗殺教室に関心させられた
それはとある暗殺者が言ったセリフである
ネタバレになってしまうので
とある暗殺者とだけ名乗っておくが
その暗殺者はある実験のため脱獄のできない牢屋の中にいた
しかし暗殺者はこう言う
「死刑台より千倍ラッキーだ。必ず脱出のチャンスはやってくる!」
ほほ~~~う
すごい。まさか牢獄をそんな風に捉えられるとは思わなかった
しかも、「必ず脱出のチャンスはやってくる」と言い切っているところも好き
こう言い切った彼はその後本当に脱出してみせるのだから
私も「必ず願いは叶う!」と言い切って本当に叶えてみせたい
さらに
この暗殺教室の生徒のひとり 狭間綺羅々 という女の子がいるのだが、この子が後半で言ったセリフがある
「ガキの言葉に耳はかさない。その代わり哀れんであげる。侮辱に等しいわ」
この言葉にめっっっちゃくちゃ共感した!
まさに的を得た言葉だと思う!
だってそうじゃない?
たしかに一見暗い言葉に聞こえるけどみんなも一度はこうゆう風に思ったことはあると思う
自分の夢を散々「無理だ」と言っておいて
大人が「でもその気持ちわかるよぉ~」って猫なで声で言ってくるとムカッとする
『気持ちわかるんだったら協力しろよ!!』
って思うよね(笑)
このセリフは私がなかなか言葉にできなかった気持ちをそのまま言葉にしてくれました
まだまだある
殺せんせーが生徒に教える場面
「いつも真正面から立ち向かわなくてもいい
避難して隠れてもいい
反則でなければ、奇襲してもいい
常識外れの武器を使ってもいい」
⇒要は私のやりかたはあっていたという事ね
私は直感的に、そう思った
この言葉はすごく嬉しかった
「社会の激流の中でどう泳ぐか考えてみる」
⇒たしかに。これを「どう泳ぐのか考えなきゃ」じゃなくて楽しんでできるようになるといいね
「社会に歯向かうのではなく、否定するでもなく
『まぁ社会はそうゆうもんだ』
と流すくらいがちょうどいい」
私はこれは作者の考え方からきていると思う
以前見たテレビで作者はこう話していた。
Q作品を作るにおいてのこだわりってありますか?
Aこだわりすぎないこと
この言葉からきていると思う
たしかに、私も社会の「仕方ない」を押し付けられるのは嫌いだし、現実を受け入れることを嫌うけど、
毎回自分はどうしたいか、どうしたいか
って問い詰めすぎて疲れている自分もいた
こだわらないことはこだわらない。
こだわらないというこだわり
「『まぁ社会はそうゆうもんだ』と流すくらいがちょうどいい」
基本自分の思う通りにやるけど
たまにはそんな息抜きが大切
自分でやりすぎないこと
これが殺せんせーが伝えたかったことだと思う
そういえば
私も前の職場で大人の理不尽さを学んだな~
ちゃんと言うこと聞いて作業したのに
「えっ、だって○○さん、前にこうやってって言ってたじゃなですか」
「あれ?そうだったかしら?…うーんとりあえず今はそんな細かくやらなくて大丈夫よ」
私はあの時それ聞いて( ゚д゚)ポカーンってなったな
その日から
全体の作業手順を覚えたら、指示通りじゃなくても自分で考えて行動していいんだなって学んだし
大人の理不尽もそのまま受け流せるようになったなぁ
真面目さより、ずる賢さだもんね( ̄▽ ̄)
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