今日も作業場に流れているハワイアン🌺なBGMに揺られながら書いてゆこう
嵐ファンならみなさんご存じ『鍵のかかった部屋』
その第9話でこんなシーンがあった
ある小学生の女の子が大野ちゃんの前にやってきた
そして
「可愛い顔、タイプ♡」
と言った
わかる
わかるぅッ
わかるぅぅぅ!!
大野ちゃんって可愛いよなぁぁぁぁっ!!
そんなしあわせなドラマに揺られた朝(昼)なのでした~
さっそく本題に入るけど
【小説を書いている人はその感情を味わえる=その人になれる】
のではないかについて
一瞬何言っているのかよくわからないと思うけど
小説はキャラクターのその感情を知っているからこそ描けるのではないかと思う
のび太を描けるのはのび太の感情を知っているから
しずかちゃんを描けるのはしずかちゃんの感情を知っているから
スネ夫を描けるのはスネ夫の感情を知っているから
ジャイアンを描けるのはジャイアンの感情を知っているから
感情を知っているという事はその人になれるのではないかと思う
作者はのび太になれるんだと思う
逆に極悪人を描いている人は
その極悪人になれるということだ
私の小説『フレア~誰も知らない世界~』にはそれこそ極悪人の敵がいる
だがしかし、その人の悪事を描くことが出来ないのだ
悪事が思いつかないのだ
だから私はきっと、極悪人にはなれない
描けるという事はその人になれるということだ