子供でいる間は、お遊戯をする事も成長期でのお仕事の一つであって、まだ子供や若者のうちは世間を甘く見ていて当然でもある。いったい何を考えているのかわからないような自身として、不憫な大人やつまんない大人にはなりたくはなく思っていた。小学六年生の頃には授業中に担任教師に御手洗へ行きたいと言う振りをかぶっては学校を抜け出したり、中学校でも幾度と授業をさぼっては屋上で漫画本を読んだり、体育館脇の一階にあった女子生徒の更衣室を表窓から気がつかれないように覗き見をする行為を悪ふざけとして同じクラスの数人でやらかしたりもしていた。その後で教職員達から職員室に連れ込まれては、授業をボイコットしているゆえに更衣室の覗き行為までして全く君達は何しに学校に来てるのかと酷く叱りを受けた事も何度とあった。
その当時でいう不良ツッパリ生徒と別で、自分も真面目な良い子ではなく悪戯や悪ふざけが好きで頭の浮かれ気味な御馬鹿ナンバー1と呼ばれていた。しかし、中学校を卒業後の高校生となってからは今までの小中学校とは社会が大きく変わり、なかなか学校の校風に対して自分は馴染み難く登校拒否がちなようにも中学校の時とは手のひらを真っ逆さまに返されたかにも酷く落ちぶれ果てた少年へと変化をした。高校など無理をしてまで行く事はないと、自分が入学してから半年程過ぎた時期辺りから思い始めては学校に行かない日々が暫くの間は何をして生きているのかのように時間だけが訳も分からないままに流れていた。あまり自身としても高校時期は思い出したくはなく、何とか辛い思いをしながらに卒業までは果たし二度とは振り返りたくない思い出となっている。最もな要因としては、生徒が男子だけの男子校は気に召さず男女共学の高校に行けば良かったのかもしれないと後悔だけが気持ちの上に大きく残っていた。
人生の中での数々な失敗や誤ちは数知れずな程で、間違えだけの方向に気がつかず進んでしまう場合も時にあっておかしくはない。自分に向いていない学校など退学になってもいいと、そう思っていても無理をさせてまでも高校に行く事を強制していた親を自分はとても許せなく思っていた。