感情移入できなかった僕でさえ感情移入できた話

少し真面目な話をしよう。端的に言って僕は感性が鈍い。小説や映画やアニメなどの登場人物と自分をシンクロすることがあまりない。感情移入が得意ではないのだ。
物語を楽しむことは出来る。でも、キャラクターの気持ちを実感することが難しい。
映画やアニメなら、映像や音楽でぶん殴ってくるので無理やり感動できる。でも小説だとイメージするしかないから、僕の想像力では、足りない。感動しきれていない。だからずっと、本を読んで泣ける人達をうらやましいと思い続けてきた。

でもそんな僕にも、そこに描かれた人物の葛藤や言動に強く共感した作品がある。
作品の中に、まるで自分の写し絵のような存在を見出して心揺さぶられたことがあるのだ。

今回は、そんな小説の中から、特に強く共感した3作品を紹介しようと思う。

車輪の下
―――すべては無駄で、すべてはただ、どの学友にも遅れ、皆から笑われながら、どん尻の弟子として仕事場へ入ることができるためだったのである―――

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https://www.shinchosha.co.jp/book/
200103/

ひたむきな自然児であるだけに傷つきやすい少年ハンスは、周囲の人々の期待にこたえようとひたすら勉強にうちこみ、神学校の入学試験に通った。だが、そこでの生活は少年の心を踏みにじる規則ずくめなものだった。少年らしい反抗に駆りたてられた彼は、学校を去って見習い工として出なおそうとする……。子どもの心と生活とを自らの文学のふるさととするヘッセの代表的自伝小説。

新潮社.「ヘッセ、高橋健二/訳 『車輪の下』 | 新潮社」.
https://www.shinchosha.co.jp/book/200103/,(参照 2021-03-31)

ヘルマン・ヘッセの作品には、何かに抑圧されて、真っすぐ育つことのできない、できなかった人物がよく描かれている。本作の主人公ハンスも、その聡明さゆえに大人達からの過剰な期待を受け、自分の子供らしい欲求を押し殺し、切り捨て、勉強漬けの暮らしを送ってきた。周りの大人から厳格に育てられた彼は思い切って人を愛することができず、学校でも友人ができずに孤独になってしまう。精神のすり減った彼は、次第に学業が苦痛になり、学校を去って、かつては「こうなりたくない」と思っていた職人に「身を落とす」。無邪気な子供時代を失った代わりに得た栄光や自尊心も失い、彼は失意の果てに……。

最近になって、この物語により共感できるようになった。主人公ハンス(と、作者のヘッセ)と同じで、僕も「学校」や「社会」と言ったものに自分を適応させることができない。例えば学校。朝は早いし勉強漬けで規則だらけ。夕方5時に帰宅して、山盛りの宿題をこなして、翌日早朝に備えて寝るとしたら、いつ気晴らしするのか?
学業が終われば社会人。僕は大学の時、就活セミナーで「趣味を持つというのは甘え。今の趣味は捨てて仕事を趣味にしろ」と豪語されて絶望的な気持ちになったこともある。
作者のヘッセもそうだったかもしれないが、ハンスと同じように僕も「幼いころは優秀だった」自尊心と、「社会に適応できない」劣等感や恐怖のはざまで苦しんでいる(今も)から、彼の苦悩に共感できる。

物語のクライマックスで、ハンスは仕事の同僚に誘われて祭りに参加する。その祭りは陽気で楽しい。惨めだった気持ちを忘れるほどに。しかし、祭りは終わる。酔いから覚めたハンスは、明日からまた始まる現実の人生を思い「はるか遠い所でいろんな禍が自分を待ち受けているように感じ」て啜り泣く。

このシーンには死ぬほど共感した。僕も「明日からの仕事」に絶望して泣いた事がある。(一日で辞めた)
一方で、ヘッセの描く風景は、ひたすらに美しい。川の水面のきらめき、木々の鮮やかな緑、高く澄んだ空に暖かな日差し。町の人々の歌や踊り、搾りたての林檎酒や果物菓子。
世界を描く筆致の美しさが、きらめく子供時代を失ってしまった切なさをより際立たせている。

存在の耐えがたい軽さ
―――「だけどこれは私の希望ではなかったの」――

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http://books.shueisha.co.jp/items/contents.html?isbn=4-08-760351-2

本書はチェコ出身の現代ヨーロッパ最大の作家ミラン・クンデラが、パリ亡命時代に発表、たちまち全世界を興奮の渦に巻きこんだ、衝撃的傑作。「プラハの春」とその凋落の時代を背景に、ドン・ファンで優秀な外科医トマーシュと田舎娘テレザ、奔放な画家サビナが辿る、愛の悲劇――。たった一回限りの人生の、かぎりない軽さは、本当に耐えがたいのだろうか? 甘美にして哀切。究極の恋愛小説。

集英社文庫.
http://bunko.shueisha.co.jp/0506/special03.html,(参照 2021-03-31)

これ、「俺のことを書いているのかな」と思った最初の作品かもしれない。
「究極の恋愛小説」とあるけれど、少し趣が違う気がする。そういう抒情的なものではなく、誰かとつながり、かかわることへの困難さ、そして変えがたい自分と言う存在の重さを思索的に描いた作品じゃないかな、という気がする。

この作品の主要な登場人物はトマーシュとテレザという夫妻、それからフランツとサビナの4人。彼らはみな、他人とのつながりに困難を抱えている。
僕がこの本を読んで驚いたのは、4人とも性格が割と違うのに、僕が感じているのと同じような苦しみをそれぞれが抱えていることだった。

トマーシュ
心の欲するままに自由に生きたいと望みながらもそれは叶わない。なぜなら彼は、「そうでなければならない!」と言う強い義務感や、他者への強い同情や罪悪感を感じやすく、恋人のテレザの感情に常に縛られているから。

テレザ
幼いころ彼女を支配した母から精神的に逃れることができず、今もなお「他者の意思」に従い続け、自分の意思で何かを選ぶことができない。また、相手に捨てられることを恐れ、それゆえに相手の強さが恐ろしく「自分と同じようになってほしい」と相手を弱くしようとする。

フランツ
父に捨てられた母を守らなければいけない、という思いから、大人になっても精神的な自立をしない。一方で自分を取り巻く現実に嫌気がさし、理想を求めて政治的闘争に身を投じる。

サビナ
他者との関係の重さを嫌い、誰かとの関係を何度も「裏切って」きた。いつかはそうした行動に終止符を打たなければならないと感じているが、やめることができない。

彼らと同じように僕も、友人や家族に対して安心を抱けず、常に怯える子供生活を送っていた。顔色を窺い、相手の感情を最優先し、自分の本当の感情を置き去りにしてきた。きっと、そういう人は少なくなくて、だからそんな僕たちにはこの小説の一文一文が鋭く響くんだと思う。

人間の絆
―――この宇宙、永劫の過去からの全ての力が、寄り集まって僕にそうさせたにすぎないんだ―――

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https://www.shinchosha.co.jp/book/213025/

幼くして両親を失い、牧師である叔父に育てられたフィリップは、不自由な足のために、常に劣等感にさいなまれて育つ。いつか信仰心も失い、聖職者への道を棄てた彼は、芸術に魅了され、絵を学びにパリに渡る。しかし、若き芸術家仲間との交流の中で、己の才能の限界を知った時、彼の自信は再び崩れ去り、やむなくイギリスに戻り、医学を志すことに。誠実な魂の遍歴を描く自伝的長編。

新潮社.「サマセット・モーム、中野好夫/訳 『人間の絆〔上〕』 | 新潮社」.
https://www.shinchosha.co.jp/book/213025/,(参照 2021-03-31)
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https://www.shinchosha.co.jp/book/213026/

医学を志すフィリップの前に現れた美しくも傲慢な女ミルドレッド。冷たい仕打ちにあいながらも、彼の魂はいつか彼女の虜となっていく。ミルドレッドは別な男に気を移し、彼のもとを去って行くが、男に捨てられて戻ってきた彼女を、フィリップは拒絶することができない。折からの戦争に、株の投機で全財産を失い、食べるものにも事欠くことに……。モーム文学を代表する大長編小説。

新潮社.「サマセット・モーム、中野好夫 『人間の絆〔下〕』 | 新潮社」.
https://www.shinchosha.co.jp/book/213026/,(参照 2021-03-31)

エンタメ小説も含めて、僕が読んできた作品の中でおそらくトップ3に入る小説。
あの「林修」氏もバイブルとして読み続けてきたという、時代を超えて語り継がれる名作。

一言でいうと、主人公のフィリップが、自分の人生の意味を求め続けて遍歴する物語。
感情移入が苦手でしられるあの僕(何様)にとってもここまで共感した主人公は本当に稀だと思う。

境遇こそ違うが、彼の精神性には自分に通じるところが本当に多い。
例えば、コンプレックスが理由で他者を恐れる一方、自分を認めてくれる人に飢えている所とか、執着心が強く、嫉妬も激しい所。自信に満ちた他者にすぐ影響を受けてしまったり、現実的に冷静に物事を考えるよりも、理想にとらわれがちで、感情的に行動してしまうところもそうだ。画家を志し、次第に心が折れていく心情の移り変わりも本当によくわかる。なにせ僕もちょうど同じ時期に同じようなことを考えていたから。

ちょっとお恥ずかしい話だが、恋をした時の感情のどうしようもなさにも、痛いほど共感した。何度かフィリップは恋をするが、その度に「わかるなあ」と感じる。
特に上巻のラストからは、フィリップはあらすじにもあるミルドレッドと激しい恋に落ちる。フィリップは彼女の一挙手一投足に激しく一喜一憂し、嫉妬したり思いを断ち切ろうとしてできなかったりもがき苦しむのだが……

共感しっぱなしだった。(「目を覚ませ」と思う場面もあったが)
なんせこのミルドレッドというのが本当に厄介な人物なのだ。公式のあらすじにさえ「傲慢な女」と言われているくらいだ。それでも好きになってしまったのだから仕方ない。
フィリップのほうの執着も尋常ではないので、かなり読み応えがあるエピソードとなっている。(ミルドレッドについては、林修氏だけじゃなくてこの本について語っている人のほぼ10割が言及している。文学史に残る女性と言っていい。)

また、この作品にはほかにもかなり多くの人物が出てくるが、彼らもそれぞれ実にシンパシーを感じさせてくれる。その受け売りの知識をひけらかして自分に酔う学生とか、批判が嫌で他人に一切絵を見せない画家志望者(耳が痛い)や、安酒におぼれ、享楽的な生活を送ることで将来の不安から逃げる詩人など。

この物語はつまり、「求めていたものが得られなかった」人たちの物語だ。
フィリップもミルドレッドも、パリの友人たちも、よりよい人生、理想の何かを求めている。それでも彼らの殆どは失敗した。そして多くの人物が、自分の人生を後悔する。恩師ともいえる人物の死に際してフィリップは自身の人生も重ね合わせて心の内で叫ぶ。常に最上と思うことをしてきたはずなのに、この失敗ぶりはどうだ」と。
誰にでも青春の輝かしい希望はあった。しかし、それに報いられるのは苦い幻滅のみなのだと。

物語の最後にフィリップが半生を振り返るシーンで、こんな一文がある。

「彼は、ただ他人の言葉、他人の書物によって吹き込まれた理想ばかりを追い求めていて、本当に彼自身の心の願いと言うものはもったことがないようだった。いつも彼の人生は、ただすべき、すべきで動いており、真に全心をもって、したいと思うことで、動いてはいなかったのだ」

これこそが、僕が全編通して、もっともフィリップに共感した部分だった。

ああ、自分が抱いている苦しさが描かれている。

この三作品を読んだ時、僕はそう思った。
自分は子供時代、心を十分に満たすことができなかった。
完璧な理想的な何かがあって、そうでない自分を受け入れることができなかったりもする。

それは一言でいえば「愛着障がい」だったり「自己愛性パーソナリティ障害」なのだと思う。
今、そういった問題を何らかの形で抱える人が少なくない事がわかってきているようで、そうした人に向けた本も出ていて、よりよい考え方が提案されていたりする。

でも、人は――少なくとも僕は――わかったからといって楽にならなかった。依然として怒りや苦しみに対処できず、今までの人生が間違いだったと嘆いたままだった。

でも、だから、文学がある。

本当にいい作品って、「答えを出さない」でいてくれるものだと僕は思う。答えを出したがる小説って割とある。対決して乗り越えた、とか、自分を変えて、過去と決別する、とか。ある日突然救ってくれる人が現れて、変わることができてハッピーだ、などなど。

ふざけんな、って思ってる。無理だから、そんなの。自分なんて、そんな単純に変えられない。自分って、「耐え難く重い」んだ。

この三作品はそうじゃない。フィリップもハンスもトマーシュ達も、他の人物もずっと「間違った選択」をし続けている
でも、作者はそれを肯定も否定もしていない。そうとしか在れない人間のまま、彼らの人生を描いている。

彼らは彼らの人生を生き、その果てにたどり着いた場所がある。
物語はただ、それに寄り添っている。


人間の絆に、こんな一文がある。

「みんな、身心、何かの故障はもっているのだ。(中略)彼等としては、どうにも仕様がなかったのだ」

人がどうにも仕様がなく選んでしまう道を、人生を、そばで見守っていてくれる。
僕は、これらの作品に、そんなやさしさのようなものを感じたのだと思う。

感性がさび付いている自分でも、そんなことを感じることができた。少し変な理屈かもしれないが、だから断言できる、これらの本は紛れもない、不朽の名作である。


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作者
この記事を書いた人は??
FT

こんにちは!
アニメや映画、プロ野球を見たり、本を読むのが好きです。
浅く広くいろんな作品に触れていくタイプなので、それを活かして記事を書いていこうと思います。よろしくお願いします!

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